弥太郎の部屋
2023年11月掲載
『男はつらいよ 寅次郎子守唄』
1974年12月28日公開
大川弥太郎:上條恒彦
弥太郎はおもちゃ工場で働くコーラス団の団長。住んでいるのは京成本線「京成関屋駅」より歩いて3分ほどのところにある「幸福荘」。その2階が弥太郎の部屋である。目印は窓におもちゃのパンダ。
こちらは本来は一軒家。「幸福荘」の看板は映画の小道具。
それぞれの位置関係。こんなに近い場所にあるのだ。
弥太郎の部屋が映りますが、その際気になるものがいくつかありました。
今回はそれらを調査していきたいと思います。
弥太郎の部屋 ①
弥太郎のアパートを寅さんが訪ねてくる。その時に映るまあまあ目立つステレオ。
寅:「おいおい、ひどいところに住んでるな〜。これでも人間の住処かい?」
むかし流行ったオーディオ機器とブロック。
ブロックはスピーカーの下に置くことが多かったが、弥太郎はレシーバーの下に置いている。
これは今でいうオーディオボード的な効果を狙ったのだろうか。オーディオボードはオーディオ機器から出る振動を吸収して、音の揺れや雑音を抑制するためのアイテム。オーディオボードを使用することで、よりクリアではっきりとした音を聴くことができる。実際に試してみると確かに聞こえてくる音の輪郭がスッキリしたような感じになる。
ただ、ブロックが同じような効果を出せるかどうかは不明。単純にレシーバーの操作をしやすいように、高さ調整のためにブロックを敷いた可能性もある。
床には直置きの2台のスピーカー。本来音に拘るなら先ずはスピーカーの置き方だと思うので、やはり単なる高さ調整のブロックなのかもしれない。(^_^;)
音楽に携わる弥太郎としては、音楽の再生機は必須なのである。
寅:「よう!青年、さっきはすまなかったな!」
エンクロージャーの前面の縁がシルバーっぽくなっている。この一手間ある感じは高級オーディオの匂いがする。
何と、よく見ると上にも2つスピーカーが置いてある。
ということは、当時流行った4chのステレオなのだろうか。
ただ置き方がリアではないし、そもそも不思議な形のスピーカーである。
ところで、このステレオって・・・どこのメーカーなんだろう?
で、いつものようにネット調べてみた。
すると・・・
パイオニア製のステレオである事が判明。
そして該当機種の掲載されたカタログを発見!!
これが当時のカタログ。
スピーカーの縁の色や、レコードプレーヤーの形などから、弥太郎の部屋にあったものは最上位機種のED-770であることがわかる。やはり4chステレオだ。
4ch充実期に、もっともふさわしいステレオ。
ディスクリート4chアンプ、CD-4、RM、SQ3方式再生回路内臓。
こちらは実機写真。ネットより参考画像。
調べてわかったその価格、何と定価155,000円!
映画公開の1974年当時の大学初任給は78,700円なので約2ヶ月分の給料と同じ!
中々の高級機である。
おもちゃ工場で働く弥太郎は、給料のほとんどを注ぎ込んでこのステレオを購入したはず。たとえ貧しくとも音楽に対する夢や情熱は本気なのである。京子さん・・・もし弥太郎とその後結婚していたとしたら、きっとご苦労されたのではないだろうか・・・(^^;;
弥太郎の部屋 ②
ステレオは判明したが、何やら壁に掛かるもう一つの謎機器を発見!
アップ映像。なんだこれ?
予想はテープレコーダーだが・・・
で、またまたネットで調べてみた。
発見!!!
三菱電機製 メモリーオート<T-210>
現金正価13,500円!
ただし弥太郎はきっと月賦だったと思われるので
14,500円で購入したと思われる。(現在の価格で3〜4万円くらいか?)
これもまあまあの出費である!
色違いで現物写真を発見!!!
テープはオープンリール型。懐かしい!
弥太郎はコーラス団の活動を自分のライフワークとし、真剣に取り組んでいたのだろう。
団員たちに自分たちの歌声を客観的に聴いてもらおうと、こういった録音機器を準備していたのだ。
またもしかしたら当時のコーラス団では、こうした機材は持っていて当たり前だったのかもしれない。
寅:「そう思った時、お前どうする?いくら後悔してももう遅いんだぞ!」
結構長い時間この機械は映っている。
当時の観客は、恐らくこの機械の存在に気がついたのではないだろうか。
現在の私たちでは馴染みがない機械のため、中々印象に残りにくいが、制作側はこうした小道具で弥太郎の日常を演出していたのである。
弥太郎の部屋 ③
そんな弥太郎の部屋にあるテレビ・・・
こちらは何とも安そうなテレビである。(^_^;)
メーカー、および機種については不明
現在調査継続中・・・。
中々の難問
こういった小道具は、これから年月が経つにつれどんどん不明なものになっていくでしょう。
映画の中では意図して置いてあるものだったりするわけで、そうして映画制作者の意思を伝えるためにも、現在の私たちがしっかりと解明し、後世に残していくことが必要と考え今回の調査に至ったというわけです。
これからも引き続き調査を続けていきたいと思います。
時間かかりますが 。。。^^;
おしまい。