日光山、大沢山 三陸の道の無い山
岩手県 日光山673m 、大沢山722m 2016年11月20日
(日光山)岩手の山150
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登山道のない山への挑戦。レインウェアにヘルメットで駐車場裏の土手を登る。
そこにはブログ情報のとおり崩壊林道があり、そこから尾根に上がると、確かに踏跡がある。登山のためというよりも植林のためのものではなかろうか。
薄ヤブの尾根は軽いアップダウンを繰り返し、楽勝かと思いきや終盤にやっかいな岩場があり、慎重に通過。
稜線に達し、そこから稜線を北にたどり、三等三角点のある日光山に到達。頂上標識はなし。木々で視界はないが、東にタラコの鯔山が見えた。
稜線を更に北に歩き、大沢山まで行く。稜線には明瞭な踏跡、笹の切り分け道がついていた。大沢山には石標のみ。北に十二神山のレーダードームが樹間にかすかに見えた。この稜線の切り分け道は維持されるべきだろう。
登山道のない山へはいつも挑戦。今回は三角点に巡り合い、大沢山まで登ることができ、樹間に鯔山なども見ることができた。良き思い出。
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総合スポーツ場には車の中で何かを待っている人たち。隣にある野球場で試合なのかなと思ったが、下山したとき野球はやってなかったので、サッカーかテニスだったのだろうか。
登山道のない山への挑戦。レインウェアにヘルメットで駐車場裏の土手を登る(レインウェアは朝寒かったためだが、すぐに脱ぐ)。そこにはブログ情報のとおり崩壊林道があり、そこから尾根に上がると、確かに踏跡がある。登山のためというよりも植林のためのものではなかろうか。
薄ヤブの尾根は軽いアップダウンを繰り返し、楽勝かと思いきや終盤にやっかいな岩場があり、慎重に通過。稜線のピーク620m峰に達し、そこから稜線を北にたどり、三等三角点のある日光山に到達。頂上標識はなし。木々で視界はないが、稜線から東にタラコの鯔山、南に船越半島の霞露ヶ岳と多々羅山、山田湾と大島が見えた。タラコの鯔山は十二神山・北峰から見ていたのですぐ分かった。霞露ヶ岳と多々羅山は戻ってから地図とにらめっこして同定。
早く着いたので、稜線を更に北に歩き、大沢山722mまで行く。途中には背の高いササヤブもあったが、稜線には明瞭な踏跡、笹の切り分け道がついていた。大沢山には石標のみ。北に十二神山のレーダードームが樹間にかすかに見えた。この稜線の切り分け道は維持されるべきだろう。
下りでは、登りで苦労した稜線手前の岩場を3度ほどトラバースしてロープなしでクリアしたが、その後、たくさんある枝尾根に間違えて入り込み、何度も登り返す。古いテープやリボンがたくさんあるため、GPS頼みの山旅であった。
登山道のない山へはいつも挑戦。事前に情報を集め、予定ルートをGPSにインプットしたりして準備し、ヘルメットにレイングローブか軍手でヤブ尾根に上がり、頂上を目指す。たどり着いた頂上で三角点や頂上標識に巡り合えると最高の気分になれる。今回は三角点に巡り合い、大沢山まで登ることができ、樹間に鯔山なども見ることができた。良き思い出。
朝焼け
朝の十二神山
大沢山(左)と日光山・・・・・総合運動公園入口付近より
総合スポーツ場には車の中で何かを待っている人たち。隣にある野球場で試合なのかなと思ったが、下山したとき野球はやってなかったので、サッカーかテニスだったのだろうか。
紅葉1(クロモジ?)
レインウェアにヘルメットで駐車場裏の土手を登る(レインウェアは朝寒かったためだが、すぐに脱ぐ)。そこにはブログ情報のとおり崩壊林道があり、そこから尾根に上がると、確かに踏跡がある。登山のためというよりも植林のためのものではなかろうか。
岩場
薄ヤブの尾根は軽いアップダウンを繰り返し、楽勝かと思いきや終盤にやっかいな岩場があり、慎重に通過
日光山
稜線のピーク620m峰に達し、そこから稜線を北にたどり、三等三角点のある日光山に到達。頂上標識はなし。
日光山頂上
タラコの鯔山
稜線から東にタラコの鯔山、南に船越半島の霞露ヶ岳と多々羅山、山田湾と大島が見えた。タラコの鯔山は十二神山・北峰から見ていたのですぐ分かった。霞露ヶ岳と多々羅山は戻ってから地図とにらめっこして同定。
霞露ヶ岳(左)と多々羅山
山田湾と大島
大沢山
早く着いたので、稜線を更に北に歩き、大沢山722mまで行く。途中には背の高いササヤブもあったが、稜線には明瞭な踏跡、笹の切り分け道がついていた。大沢山には石標のみ。この稜線の切り分け道は維持されるべきだろう。
大沢山頂上
樹間にかすかにレーダードーム
北に十二神山のレーダードームが樹間にかすかに見えた。
枯葉
紅葉2(イロハモミジ?)
下りでは、登りで苦労した稜線手前の岩場を3度ほどトラバースしてロープなしでクリアしたが、その後、たくさんある枝尾根に間違えて入り込み、何度も登り返す。古いテープやリボンがたくさんあるため、GPS頼みの山旅であった。