尼崎(ありま道)

尼崎市のホームページには「本道と間道の2コースがあった」とでていました。何度もいいますが、近世においては道標の表現としての「ありま道」は無数にあり、2コースに限った訳ではありませんが、現在風の「有馬街道」の使い方と受取って上記の道をたどることにしましょう。

大坂から加島までの道は別項「大阪(有馬街道)」を参照下さい。

1800年大坂から有馬温泉への旅の続きです。
神崎の渡しを上がった地点からです。明治の地図で上陸地点(船着き場)は現在川になってしまっているようですが、河原を歩いて土手上に出た位置は現在の道から判断して神崎町7-1の三ツ辻に違いないとおもわれます。当時は川への道も含め四辻であったと思われ、ここを真っすぐ西に向かいます。150mで祠に入った「西川2の地蔵道標」に突当ります。少し手前右(北)側民家の竹矢来(たけやらい)横には現代の「有馬道」石碑も見えます。

西川2の地蔵道標、右(北)へ有馬道

「神崎町12の道標」向う側から来て左(北)に進みます

160m北に進むと道は左(西)へ曲がり100m進むと三ツ辻になります。この北東角に「神崎町12の道標」が立ちます。この道標の南面に「左、昆陽…有馬」「右、伊丹、中山」が見えます。明治十一(1878)年とあり、近世のものではありません。尼崎のHP等から今のT字路は元は少し東にあったY字状の辻で南面が東面して置かれていたと思われるが、いずれにしろ「左有馬」が西への道を指す事は間違いなさそうです。よってこの地点では有馬道は西への道しかありえないのです。ではなぜこの道を「間道」とするのでしょう。天保国絵図でも明治44年地図でも右(北)に分岐する道の方が太く書かれていて、こちらが有馬への道として普通で有ったと思われるのである。ただし、北への道を進むと尼崎市内では「有馬」を案内する道標には出会わない。逆に西に進むと「下坂部2丁目道標」に「右、中山、有馬」との案内を見る事ができます。近世の旅とうたって出発したので、この道標はなかったものとし「北、伊丹」の道をすすみます。

道標の辻を北に真っすぐ1.1㎞途中名神と新幹線をくぐります。筋違い四辻を左(西)に折れ60mの新幹線のガードに沿って北西に110m進みます(旧道消滅のため)。このまま新幹線の下を阪急の線路迄すすめば良いのですが、地図に有る様には進めません。とにかく西の県道(園田橋線)の「小中島1丁目南」の交差点を北西に渡り新幹線西側下道を北西に進みます。県道を離れてから680mで阪急の神戸線に突当り道がなくなったかと思います、が左(西)に15m道でないようなところを進むと右にガードが出てきます。高さ1.3m程度です。これで阪急神戸線をくぐります。徒歩以外は別のルートを探してください(土手から回る等)。出た道を左(西)へ210mの三ツ辻を北西に入り込みます。瓦宮集落の西端から下食満(しもけま)を目指す道です。

市教委の「有馬道」解説板

瓦宮西の三ツ辻を北に折れて道なりに140m、「南台公園」の南西端を廻り込み北に向かう辻は多分悩まないでしょう。160m進んで西に曲がる地点に三ツ辻(食満7丁目24辺り)が有り、この辻をおぼえておいてください。有馬道は道なりに西に進みますが、チョット寄り道です。

ここを北に折れて有馬道を離れます。正面には6階建ての建物が見えます。50m進みその建物の前の三ツ辻を右(東)に折れます。道なりに100mの新幹線高架をくぐり左手(北側)にある公園の南を、そのまま東へ40m進んだ左手(北)を見ると路地の突当りにお寺が見えます。西明寺といいますがその門前まで30mほどです。門前左前(南西)にリッパな道標が建っています。今は寺標代わりとなっていますが、有馬道からここを案内する道標であるとしました。西面にある「是より半町東へ入」を上の道案内の通り、「有馬街道から北へ半丁(55m)進み、そこから東に入って真っすぐ進む」と読み取れるでしょうか。

西明寺へ寄道の辻(食満7丁)左右が有馬道

食満7丁目24辺り三ツ辻まで戻りましょう。辻を西へなりです。徐々に北西に向きを変えつつ、440m進むと東西の広い道と交差します。80m西には道41(近松線)の「園田支所前の交差点」がある辻です。旧道はこの辻を北に抜け交番東の細い道を園田中学校に突当り西に廻り込み現県道41号にのみ込まれていると思います41号にのみ込まれる園田小学校前交差点までは200mの距離です。この交差点から新幹線をくぐり、猪名寺郵便局前の四辻まで930m、見るべきものもなく、車がよく通るのに一部歩道もなく歩きにくい道です。旧道へのこだわりが無ければ、西明寺を40m西に出て、新幹線の下を歩く方が無難でしょう。

猪名寺交差点から北は旧道そのままの感があり、自動車のすれ違いさえままならない。道なりに730m進むと「杜若寺墓地入口の道標」にたどりつけるが、途中の200m四辻から東へ60mの猪名寺廃寺跡や、620m地点道右(北)側の「稲野笹原旧蹟」等は時間をとられることも少ないと思います。ちょうどここを描いた図が「名所図会」にあります。

稲野笹原旧蹟

墓地入口を南東に見る、左奥が猪名寺、道標は白壁裏側にある。

「杜若寺墓地入口の道標」は移設されている様で伊丹側から大坂、尼崎を案内しており、北となる有馬や中山寺への案内は書かれていません。有馬道の北側杜若寺は伊丹市域で、南側はJRの踏切までが尼崎市となり、尼崎の有馬道はここで終りです。
尼崎市教育委員会がいう「有馬道(間道)」は項をあらためます。

2021/8/9 作成中