②雨の山形たべもの紀行

33号 平成14年3月発行

夫には弟が一人居る。 兄弟の多い私と違い二人きりの兄弟である。

共に七十歳を過ぎた頃から、機会を作って出来るだけ会おうと弟から申し入れがあった。 千葉と札幌に離れ住んでいるので、せいぜい年二回程の出会いになる。

今年は春に東京で会い、秋には山形で会った。私が祖父母の故郷である山形に執着し、蔵王に行って見たいがと話した時「是非行こう」と、 すぐに決まり、いいのかしら?と少し気にした位だった。

秋の旅行は雨にたたられた。 自称天気女の自信が少しゆらいでしまった。

雨の中、仙台駅で二組の兄弟夫婦が落合った。明日の天気に期待して、蔵王は後まわしにし、仙山線に乗車した。 以前気持を残して通過した「山寺」駅に降り立った。雨はさしてひどくなかったので、先ずは流谷川添のそば屋で腹ごしらえをした。 揚げ豆腐入りのそばが珍しいので注文し、味噌田楽もたのんだ。

根本中堂・立石寺本坊などにお参りした。年間八十万人が訪れると聞く、1,015段の石段を登った上にある、 奥の院・五大堂はあきらめて、駅の反対側にある「山寺芭蕉記念館」に入館した。

山寺や時雨の中に芭蕉像 英子

芭蕉翁直筆の貴重な掛軸・書物と共に立派な画家でもあった芭蕉の一面を知る事が出来た。 貴重な見学であった。記念館の離れ座敷の窓からは、雨に煙る山寺の全景を眺められた。

宿泊予定の山形のホテルに夕方到着した。雨が本降りになったので、ホテル内の居酒屋で夕食をとり、 兄弟二人久し振りの酒盛りとなった。 大満足の夫は、ビールジョッキを弟より多く二杯飲んだ。さて、体の方は大丈夫かしらと思ってしまう。 我が家では炭火で魚を焼くのはむずかしいので、大きな、さんまやほっけの開きを注文した。国内だから不思議ではないが、 今では「北海道の名物料理」と胸を張っていられないと思った。

とても美味しく最高だった。その思いは、翌日も味わう事になった。

曇り空の中から時折 日差しもある朝を迎えた。 山形駅前から朝九時すぎに、一日に二本しかない蔵王山頂の刈田駐車場行きバスに四人は乗車した。 中腹になるにつれ素晴らしい紅葉を眺める事が出来、頂上の「お釜」に望みをかけている中に刈田に到着したが、直前から風雨がひどくなった。

夏用リフトは休業で、売店もシャッターを閉じていた。トイレがあったので安心した。 その儘、バスが下山する約二時間を車中に居る事になった。おやつを持参していたので、四人で分けて、 12時半のバスの出発を待った。外には五、六人より乗客は居ない。弁当を食べている人も居た。ああお腹が空いてきた。

秋雨に風音ばかりの蔵王山 英子

このバスで山形市に戻るのも悔しいと、 途中の蔵王温泉で昼食をとる事にして下車した。想像よりも沢山のホテル・旅館をはじめ土産店があるので認識をあらたにした。

弟は観光協会を見つけ、お奨めの食堂を聞いてきた。 硫黄と共に白く湯気らしい流れの川を見ながら少し歩いて、その食堂に着いた。民芸風の店の名物は、ラーメン・ジンギスカンとあり、 又々吃驚した。

紹介してくれた観光協会に、ラーメンでは悪いと、 ジンギスカン定食を四人は頼んだ。狂牛病が報道され、羊肉も白ではないと聞いているが、ままよとばかり、 北海道と同じ形のジンギスカン鍋で山盛りの野菜と共に、鍋を四等分するように「ここは私の領分よ」と言い乍らもりもり食べた。

大樹在住の頃は、町内会の催しで何かとジンギスカンを食べる機会があった。 札幌に住んで四年あまり、久し振りに味わった事になる。 1,500円の値段にしては、山菜やきのこ料理・漬物・煮物・汁物と次々に出してくれる。テーブルに置き場所が無い程の御馳走だった。 その味も満足出来る物だったので、四人は雨も又、良しだわねと話し合った。

翌朝は、抜けるような秋晴れになっていた。何とも複雑な気持であるが、予定通り今日中には、札幌に帰らなければと、諦めた。

松島へ行くと話していた弟夫婦とは、先日落ち合った仙台駅で別れ、 盛岡行きの新幹線に私たちは乗車して帰路についたのである。

行く秋に心のこして去る山形 英子