エ. 祖母と菜っ葉

孫を持つ身になって、実家の祖母のことがしきりに思い出される。

父方の祖母は若い頃、山形県から道東の厚岸に渡って来た。祖父とは駆け落ち同然だったと人づてに聞いたが、真相は分からない。

明治三十年代、刀鍛治だった祖父は厚岸では農具を作って生計をたてていた。祖母は祖父の仕事の相手として働いていたという。

昔の人には珍しく祖母は父一人より子供を生んでいないが、七人の孫に恵まれ、祖母はその孫たちを手塩にかけて育ててくれた。

私の母にとっては、家事万端を完ぺきにこなす太刀打ち出来ない姑だったが、私にはやさしく、また人生の指導者の一人でもあった。

祖母と母が争いごとになった時、私は必ず祖母の味方をした。どうみても祖母の言い分が正しかったので。

その敵は後年私が結婚してから母にとられた。私が姑の不満をもらしても、母は全然私の味方をしてくれず、「何でもかんでも出来る姑さんではなくて良かったでしょう。」と私に言うだけだった。

ハマナス

祖母は山形の民話を孫に毎晩語り聞かせてくれたり、心に残るたくさんの言葉を教えてくれたが、その中に「ケチな男には茄でる前の菜っ葉を見せるな」というユニークな格言がある。

祖父がケチな男だったかどうかは分からないが、主婦になり、それに近い夫を持ち、いろいろ経験してみると良く分かる。

山ほどの菜っ葉を台所で茄でる度ごとに、祖母の教えとともにこの格言を思い出す。

(1992年、3月)