コ. 亡き友に捧ぐ

ミズバショウ

昨年末の道新夕刊の文化欄で、詩人の堀越義三さんの「惜歳記」を読んだ。

文中に「私は中年を過ぎたころ妻を亡くしたから、毎年歳末の買物は苦労したが・・・」とある。その亡くなった奥さんが私の友人であった。40過ぎたばかりの友は、クモ膜下出血で倒れ10日後に亡くなった。


葬儀にかけつけた同級生は、2人の幼い娘を残して亡くなった友人を見て、どんなにか心残りだったことかと泣いた。

まして上の娘は、夕張で大発生したポリオの後遺症で、歩行が困難だった。

自分の背丈と同じ位の娘を背負って、外出していた友人の姿が目に浮かぶ。

過ぎ去った20年前の事を考えながら読みすすむうち、「正月を迎える支度の細々した事を、いまは娘が全部してくれるので、それがなによりありがたい。」とあった。私はホッと胸をなでおろす感じがした。

そして、堀越氏は再婚もせず、娘2人を育てていらしたのを知った。

娘とだけ書かれているが、2人のうちのどちらかなと考えた。

下の健康な娘さんの方か、また、上の娘さんもその後何回かの外科手術を受けたと聞いているので、自分で外出も出来るようになったのだろうと思う。

私の娘と同じ年頃の友人の娘が、たまたま遊びに行った夕張で菌をもらってしまったと知り、他人事とは思われなかった。

同級生の殆どが還暦を迎えた今、何人かの物故した友人達の思い出をあらたにした。

(1992年1月)