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N 家 の 人 々
1.英子エッセイ集
⓪夫には内緒
①おとぼけ闘病記
②雨の山形たべもの紀行
③札響、英国公演と娘
④知床さいはて旅情
⑤小姑のいない私
⑥一周忌を前にして
⑦厄日と謎
⑧世界遺産「白神山地」紀行
⑨「シーズネット」と私
⑩「菜摘会」
⑪人生を駆け抜けた妹へ
⑫老婆も森林公園に行く
⑬お元気そうですね
⑭新聞小説「天佑なり」に寄せて
⑮「殿」の隣に座り損なった私
⑯文章教室に参加して
⑰鉄ばあさん・道警本部の見学会
⑱デイサービス
⑲娘の気持ち
⑳ふっくらしたお話
㉑軍歌は止めて
2.「祖母と菜っ葉」
イ 親離れ子離れ
ロ 離島への旅
ハ 車内談義
ニ 風(ふう)が悪い話
ホ「東京のおばあさん」
へ 五右衛門風呂
ト 男と女
チ コルチカム
リ 旅の中から
ヌ 姑になる心得
ル 二人きりの正月
ヲ 危機一髪
ワ 二人のじゅん子
カ 天国の父さんへお願い
ヨ フルムーン考
タ 安曇野の友
レ 母親でーす
ソ 我が家の整備士
ツ 朝がゆ
ネ 外人とおばさん
ナ 冷房ぎらい
ラ 出会い
ム 突然クラシック
ウ かきもち
ヰ 春の夜
ノ 車と娘
オ タクシーとオバタリアン
ク 源氏物語を読んで十年
ヤ 丙午と母
マ 夏の日のミステリー
ケ アポイ岳に登って
フ お互いさま
コ 亡き友に捧ぐ
エ 祖母と菜っ葉
テ 我が夫婦
ア 国際車掌
サ 弟妹の為に
キ 私は十勝人
ユ 初めての運動会
メ 宅配便 二話
ミ 「もうーいいー」
シ 小さな個室
ヱ 礼状
ヒ さい果ての街へ
モ 詩 「由美ちゃんへ捧ぐ」
セ 創作「霧の町」
ス 寄稿・おわりに
英子略歴
N 家 の 人 々
1.英子エッセイ集
⓪夫には内緒
①おとぼけ闘病記
②雨の山形たべもの紀行
③札響、英国公演と娘
④知床さいはて旅情
⑤小姑のいない私
⑥一周忌を前にして
⑦厄日と謎
⑧世界遺産「白神山地」紀行
⑨「シーズネット」と私
⑩「菜摘会」
⑪人生を駆け抜けた妹へ
⑫老婆も森林公園に行く
⑬お元気そうですね
⑭新聞小説「天佑なり」に寄せて
⑮「殿」の隣に座り損なった私
⑯文章教室に参加して
⑰鉄ばあさん・道警本部の見学会
⑱デイサービス
⑲娘の気持ち
⑳ふっくらしたお話
㉑軍歌は止めて
2.「祖母と菜っ葉」
イ 親離れ子離れ
ロ 離島への旅
ハ 車内談義
ニ 風(ふう)が悪い話
ホ「東京のおばあさん」
へ 五右衛門風呂
ト 男と女
チ コルチカム
リ 旅の中から
ヌ 姑になる心得
ル 二人きりの正月
ヲ 危機一髪
ワ 二人のじゅん子
カ 天国の父さんへお願い
ヨ フルムーン考
タ 安曇野の友
レ 母親でーす
ソ 我が家の整備士
ツ 朝がゆ
ネ 外人とおばさん
ナ 冷房ぎらい
ラ 出会い
ム 突然クラシック
ウ かきもち
ヰ 春の夜
ノ 車と娘
オ タクシーとオバタリアン
ク 源氏物語を読んで十年
ヤ 丙午と母
マ 夏の日のミステリー
ケ アポイ岳に登って
フ お互いさま
コ 亡き友に捧ぐ
エ 祖母と菜っ葉
テ 我が夫婦
ア 国際車掌
サ 弟妹の為に
キ 私は十勝人
ユ 初めての運動会
メ 宅配便 二話
ミ 「もうーいいー」
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ヱ 礼状
ヒ さい果ての街へ
モ 詩 「由美ちゃんへ捧ぐ」
セ 創作「霧の町」
ス 寄稿・おわりに
英子略歴
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N 家 の 人 々
1.英子エッセイ集
⓪夫には内緒
①おとぼけ闘病記
②雨の山形たべもの紀行
③札響、英国公演と娘
④知床さいはて旅情
⑤小姑のいない私
⑥一周忌を前にして
⑦厄日と謎
⑧世界遺産「白神山地」紀行
⑨「シーズネット」と私
⑩「菜摘会」
⑪人生を駆け抜けた妹へ
⑫老婆も森林公園に行く
⑬お元気そうですね
⑭新聞小説「天佑なり」に寄せて
⑮「殿」の隣に座り損なった私
⑯文章教室に参加して
⑰鉄ばあさん・道警本部の見学会
⑱デイサービス
⑲娘の気持ち
⑳ふっくらしたお話
㉑軍歌は止めて
2.「祖母と菜っ葉」
イ 親離れ子離れ
ロ 離島への旅
ハ 車内談義
ニ 風(ふう)が悪い話
ホ「東京のおばあさん」
へ 五右衛門風呂
ト 男と女
チ コルチカム
リ 旅の中から
ヌ 姑になる心得
ル 二人きりの正月
ヲ 危機一髪
ワ 二人のじゅん子
カ 天国の父さんへお願い
ヨ フルムーン考
タ 安曇野の友
レ 母親でーす
ソ 我が家の整備士
ツ 朝がゆ
ネ 外人とおばさん
ナ 冷房ぎらい
ラ 出会い
ム 突然クラシック
ウ かきもち
ヰ 春の夜
ノ 車と娘
オ タクシーとオバタリアン
ク 源氏物語を読んで十年
ヤ 丙午と母
マ 夏の日のミステリー
ケ アポイ岳に登って
フ お互いさま
コ 亡き友に捧ぐ
エ 祖母と菜っ葉
テ 我が夫婦
ア 国際車掌
サ 弟妹の為に
キ 私は十勝人
ユ 初めての運動会
メ 宅配便 二話
ミ 「もうーいいー」
シ 小さな個室
ヱ 礼状
ヒ さい果ての街へ
モ 詩 「由美ちゃんへ捧ぐ」
セ 創作「霧の町」
ス 寄稿・おわりに
英子略歴
ヘ. 五右衛門風呂
戦前の教育を受けた女性、特にそのうちでも一部の人は、本心をあからさまには語らない躾が、身に付いているように思う。それは争いや、失言、失敗が少ない事につながるのだろう。
それに引き替え大方の道産子は、この風土とあいまって女性もその例にもれず、自分の思った事をはっきりと話す。私もその中の一人である。戦中派として、色々ないまぜの教育を受けた事もあってか、何度か後悔したり、反省して考え込む事があった。
今考えても顔から火の出る思いをした忘れられない事がある。それは小田原市にある夫の父方の本家での出来事であった。
もう随分前の事になるが、夫が実に20何年振りかで、父親の墓参りに帰郷したいということから、家族一同での旅行とあいなった時の事である。
夫は終戦の年18歳であった。その年の七月に、まさか一カ月後に、戦争が敗戦で終わるとは露知らず東京を後にした。それは昼夜をとわずの空襲にさいなまれ、また、つらい食糧難から逃れたいと思っての事だった。
たまたま募集していた開拓団に応じ、本道の一隅に入殖し、5年間辛酸をなめたという事である。
単身で地元の篤農家のお世話になった後、家族を呼びよせた。軍人であった父親は、昭和17年に戦没して居た。草一本取ったことのない母親と、中学生の弟との三人で開拓生活が始まった。
夫は馬を使い、母親と弟が後を追う。40過ぎて、初めての農作業である。夏ともなれば、草を取るより休んで居る方が長かったとは、姑自身の後々の語りぐさだった。
旧制中学校を卒業した弟は先の見通しの無さから、教師の道をえらんだ。姑は体が弱い人で、夫一人の働きではどうにもならず、冬には雪の舞い込む小屋で色々思案したそうである。夫の若い理想は、無残にも打ちくだかれたのであった。
弟はH町の学校に転勤して行った。その学校の先任者のつてで、夫にも就職の話がもち上がった。母と共に弟を追って、その町のある会社に就職した。夫は文字通り、畑違いの仕事に精出して働いた。
三年程の後に、上司の世話で、私との出会いとなったのである。夫は、墓参に帰郷したい気持ちを押え、必死に働いたそうである。行くなら、自分の子供を連れてと考えてきたという。
結婚後、10数年が過ぎてしまった。相談の末、子供達が小学生のうちにとやっと決心し、実行する事となった。
小田原の本家をはじめ東京の親戚に連絡し、夏休みを利用しての家族旅行に出発した。
東京の青山墓地にある父の墓前に、一同は佇んだ。夫は20何年振り、私と子供達二人は、初お目見得である。
4、5軒ある東京の親戚に挨拶廻りをした後、長い間墓守りをして頂いた小田原の本家へ、お礼に伺う事となった。
私にとり東京の親戚の方々も初対面で緊張したが、それ以上に気むずかしい伯父と、姑から聞かされてきていたので、余計固くなって本家の玄関を入った。
90歳を目前にした伯父と70代の伯母は、兄弟の中で、ただ一組だけ健在なのであった。伯父は日清、日露、第一、二次大戦をくぐり抜けた軍人だった人らしく威厳があった。写真でしか見た事のない、夫の父とそっくりである。
伯母はいかにも明治の女らしく、奥床しくそして神経質らしい、ほっそりとした人だった。私のもっとも苦手なタイプの人である。これは気を付けなけれぱと心に決めた。後でお聞きしたが、長年不眠症に悩まされていて、よそへ行くと一睡も出来ないとの事だった。でも、不眠症では死ぬ事はないという見本のように、現在も御存命である。
婚家先から夫の従姉達も来て下さり、珍しい魚料理などで、その夜は歓待された。私は、ついつい遠慮なく頂いてしまった。
夫と子供達は、食事の前にお風呂を頂き、縁先で涼みながら、伯父をまじえて積る話をしているらしい。時折笑い声が聞こえる。
さて、私がお風呂を頂く事になった時、伯母が何気なく、「北海道に五右衛門風呂はありますか?」と聞いた。
すかさず私は、「五右衛門風呂ですか?。
何度か入った事はあります。でもあれは、周りが熱くて入りずらい、大変なお風呂ですよね。」と正直に答えた。伯母はだまって聞いていた。
私は案内されて、風呂場へ向かったのである。湯気の立つ風呂場へ足を踏み入れた途端、暖い所なのに、私の顔から、さっと血の気の引くのが分かった。
そこには五右衛門風呂が、でんと裾え付けられて居たのである。初めて伺った、それも本家で、私は何という失言をしてしまったのだろう。
飛び出す訳にも行かない、ゆっくり考えようと、弥次・喜多道中さながらに、浮いている板の上にそろりと足を乗せて、身を沈めた。
どんな顔で伯母と向き合ったものかと、ドキドキする胸で考えた。ぬる湯好きの私が、すっかりのぼせた顔で、おずおずと茶の間に入った。
ヤマタニタデ
伯母は、「湯加減は如何でしたか?」と何食わぬ顔である。
私は意を決して「誠に失礼致しました。良いお風呂でした。」と慌てて答えた。伯母は五右衛門風呂に付いては一言もいわず、「英子さんは東京生まれですか? 言葉も標準語のようですし。」という。
私は、恐縮しながら、「いいえ北海道生まれです。俗にいう、道産子です。アクセントは違うらしいですが、大体、言葉は標準語です。」と、ひどい北海道弁など使った事もないような顔をして答えた。
どうやら伯母は、私を江戸っ子と見てはっきりした受け答えに納得していたらしい。
それにしてもと、私は今でも考えるが道産子ならこんな時に、「家は五右衛門風呂ですから、気を付けて入って下さい。」と言わずもがなの事を、はっきりというだろうと思う。夢にも考えなかった事を聞かれて大失敗をして、ホゾをかんだ。にもかかわらず、いまだに失言をしては、娘にまで注意されているのは、どうした事かと、我ながら考えてしまう。
その夜は、二階の普段は使わない、かなり古い部屋に寝かされた。これも古びた麻の蚊帳の中に、どこからか入った蚊にせめられた。むし暑さと、階下では聞こえなかった新幹線の列車が通り過ぎる音と、お風呂の事などで、まんじりともしない旅の一夜であった事を忘れる事が出来ない。
(1984年8月)
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