ケ. アポイ岳に登って

「アポイ岳登山に行かない?」と若い友人にさそわれた。

私は飛び上がる程嬉しくなった反面、一寸考え込んだ。と言うのは、一週間前から歯が痛み、その後抜歯して血圧がとても高かった。

血圧は家でも計ってはいるが、たまたまある会の健康相談会があり、帯広市のO医師の診察もうけていた。

だが、高山植物の宝庫と聞くアポイ岳への思いの方が強かった。

登山と云うと、二十年前に樽前山へ必死の思いで登った経験が一度あるだけ。自信のない私は、会う人ごとに誰彼となく、

「アポイ岳は私が登れる山?」と質問し続けた。一見元気そうなので、答はいつもきまっていた。

「らくらく登れるよ。」

6月の晴れた日曜日、老若男女とりまぜ13名のグループは、9時半登山を開始した。

広々とした林道が続いたと思うと、肩すり寄せるような山道になる。多勢の下山してくる人達とすれちがった。

ギンリョウソウ

足下はさほど悪くないが、急な坂や岩石を踏んで「ヨイショ、ヨイショ」と声を出して登りながら、下山の時はどうなるやらと、そればかり考えて登った。

11時過ぎ、五合目の避難小屋に到着した。そこで5名がリタイヤした。その中に夫と私がいた。

一休みしてからせめてその辺の高山植物を見ようと、小屋を出て歩き出した私は、我が目を疑った。

頂上から下山してきた一団の中に、O医師の顔があった。

一瞬私の動悸がはげしくなった。これはまずいなーと思いながらも、心と裏腹に足は前へ進んでいた。

「珍しい所でお会いいたしますね。先日からの事を考えてこんな所で救急車という訳にはいきませんので、途中で諦めましたが、O先生にお会いするなら登ればよかったわ。」と、 私の悪いくせで心にもない事を話した。

真面目なO医師は手を広げながら

「こんな何もない所で、素手では何も出来ませんよ。」と答えられた。

私は心の中で「なんだ、名医もここでは只の人か。」と思いながら、一寸言いすぎたかなと思った。

五合目付近で、ミヤマハンショウヅル、アポイアザミ、エゾコウゾリナ、ギンリョウソウなどの初めて見る高山植物を目にすることができて、また小屋の中で休んでいた。

そこへ小学5年の少年B君と、少しおくれてA君が頂上から戻って来た。

「一番よ、早かったわねえ。」と私が声をかけると、なぜか浮かない顔をしたB君が、ボソボソと「僕ねー下の第4休憩所のベンチにリュックを忘れて登って来たの。友達の弁当も入っているんだあ。」と言う。

私がよく聞くと、B君は黒いリュックとキルティングのザックと二つ持ってきたらしい。五合目近くで気付いたが、忘れてきたのはもっと下の、二合目あたりだったかなと思って諦めて頂上へ登り、外の人達から弁当を分けてもらって食べたそうな。気になるのですぐ下山するという。

私は「山登りする人に悪い人はいないから、きっとあるわヨ。」と力づけ、私達も続いて下山することにした。

B君達は飛ぶように降りていき、すぐ見えなくなった。

汗を拭きながら一歩一歩慎重に降りて、やっと第4休憩所に近づくと、ベンチでお握りをパクついている2少年が見えた。私は安心して力が抜けてしまった。その時夫が小さい声で「この休憩所を発つ時は俺も一緒だったのに、全然気が付かなかったなー。」とつぶやいたので、私はだまって夫をにらんだ。

間もなく次々と下山してきたグループの人達が、少年達からお返しのお握りをもらい、ついでにおやつも取り合ってワァワァ騒いでいるのを見て、やっぱり登山者は皆よい人達だなあと、ほほえましぐなった。

日が経つ程に、山の魅力のとりこになっている私。この次には、必ず頂上へと意気込んでいるが、年寄りの何とかと言われそうでもある。

(1991年9月)