テ. 我が夫婦

出会った多くの人達に、私達夫婦は暗さを感じさせなかったと思う。夫も生来の性格か明るく旅を続けていた。

精密検査の結果「要注意」を受け、反面何をしても良いとも医者に言われて夫は一人で悩んでいたようだ。

信仰心の無い私達だが、すべては運命の神にまかせて、「半年先は分からないから」と夫が立てた計画通りの旅をしてきた。

夫にはたった一人の兄弟である千葉の弟に会う事が一番の目的で、寝台車に揺られた翌日弟夫婦の家に着いた。

こちらの話を聞いてくれた後で、弟にも矢張り悩みのある事を知った。60歳を過ぎると殆どの人が病の一つや二つはある。

また、今は年齢に関係なく明日の事は分からない。

何もやけになるのではなくて、その日、その日を大切に暮らしていきたい。

私も夫の入院中はすっかり落ち込んでしまった。

でも夫の退院後は、気持を切り替えた。

アオチドリ

私が暗くなってはどうしようもないので、これまた見掛けは人一倍明るく見えるらしい私に戻った。冗談まじりの会話が多くなった。

夫の体にあまり負担をかけないように、私は黒いリュックを背負った。

でも夫の鞄はあれもこれもと行く先々で詰めるパンフレット類で重くなった。

そして、足は矢張り自分が強いと私を笑う。

これが本当に病人かしら、と私は少々憎らしく思った。

夫が日頃から「80歳になって3日患って死にたい。」と言ってる希望が叶うのではと思った旅になった。

(1992年4月)