⑧世界遺産「白神山地」紀行

39号 平成20年2月発行

地球規模で自然保護活動を行っている、WWF(世界自然保護基金)を支援するという、固い感じの団体がある。

その組織の一つ「パンダクラブ北海道」の代表を長男が担当している関係で、夫亡き後、私が事務局を務めている。その「パンダクラブ」で年一回サマーキャンプを計画し、実施している。

昨年の天売・焼尻ツアーの折に話が出て、初めて道外へ足をのばして白神山地へ行って来た。北東北を半周する行程になった。自分の年齢も考えずに参加したが、今考えても行って良かったと思う。矢張り素晴しい体験をする事が出来た。

七月末同行者は四名。何人かに声をかけたのだが、最終的には、昨年会員に入られた、北大名誉教授(林学)のT先生と、長屋家族三人という顔ぶれになった。T先生から、「押しかけ女房(あれ、男性でも…)みたいになって申し訳ない」と遠慮がちに、言われた。

「こちらこそ、申し訳ありません」私はすかさず答えた。長男と私はともかく、長女は「母さんの介護の為に行ってあげる」という恩をきせての同行であった。

白神山地は1993年、屋久島と共に日本初の世界遺産として登録された、青森・秋田両県にまたがる広大な「ブナの原生林」である。T先生はフェリーで、長屋三人は、長女の希望で飛行機を利用して青森空港で合流した。札幌を出発した時も雨降りだったが、 四人が車で第一目的地の西目屋村「白神山地ビジターセンター」に向かった時も、土砂降りの雨だった。でもその後は快晴に恵まれて幸運だった。

青森県が造った「ビジターセンター」は、他のどこにも無いような、立派なものだった。展示室・機器類も十分に工夫され、何といっても「超大型スクリーン」に映し出される映像の迫力と内容は最高だった。

世界最大級のブナ林が、マタギと呼ばれる猟師達によって、信仰の対象ともなって保存されてきた事を知った。 充分に予備知識を受けた一行は、宿泊地の弘前に戻り、弘前城を見学した。街の目抜き通りに大きな看板があり、「桜とりんごの街弘前」と書いてあった。何と奥ゆかしい街かしらと思った。桜の頃に又来たいなと思った。

二日目は、いよいよ、「白神ライン」と呼ばれる森の中を、つづら折に走り抜ける細い林道を通って車は走った。途中の津軽峠で、「マザーツリー」と呼ばれる樹齢四百年のブナの大木を見ようと車を降りた。 私は道端のベンチで休んでいると、長男が迎えに来て「歩きやすい道だから」との事で一緒に行った。何百米かの遊歩道が舗装されていた。それには男性二人はガッカリしたと話し合っていたが、私は見事な大木を見る事が出来て満足だった。

その後、一番の観光名所となっている「十二湖」を歩いた。登録以前からの名所であり実際は三十以上の湖や沼がある。その中でも特に「青沼」の吸い込まれそうな、神秘的な水の色は忘れられない。途中の地味な山林を廻る行程と違い、沢山の観光客が来ていた。 その人達に混じり、山道や階段をいや応なしに追い立てられるように私も登り降りした。でも森林浴のお陰か、その時は疲れを感じなかったのはありがたいと思った。

一行は、その後秋田県に入り、藤里町にある「世界遺産センター」を見学した。参議院選挙の投票日のせいか中はガラガラ。施設も寂しい感じがした。

その夜は、「ゆとりあ藤里」という温泉に宿泊した。宿泊者が少ないからと、真新しい大きい部屋に、一名ずつ休む事になった。歩き疲れた体もすっかり温泉で癒す事が出来たが、何様になったような気分になった。

三日目は、宿の近くの「峨瓏の滝」を見物した後、大館経由で青森空港に到着した。

T先生は、この後友人に会う為に山形県に行かれるとの事。二、三日滞在予定と聞いた。祖父母の故郷山形と聞いて、私の悪いくせでむずむずと行きたくなったのには困った。

最初の日、出発してまもなくT先生が、車の運転席で、後むきのまま「はじめ息子さんからお母さんのお年を聞いて、実は心配していたんですよ。でもお元気ですねー」と、何とも面映いお言葉を頂いた。好奇心の強い私は、今後も体力の続く限り、どこかへ行くだろうと思う。「○○は死ななきゃ治らない」という言葉通りだと、しみじみ自身の事を考えて見た。

T先生のお陰で、新しい発見と体験をし、安全な「白神山地紀行」が出来た事を感謝している日々である。

ニホンカワトンボ