サ. 弟妹の為に

2年後に、私が自分の年金を貰うようになったら、拙い私の文章を五人の弟妹の為に、自費出版しようと考えている。

先日、札幌や帯広の妹達三人と集まる機会があった。

エッセー教室に入って以来あたためていた、亡き母の事を書いた文章を妹達に読ませた。

「こんな事は知らなかったわ。」

「そうだったの、姉さんだけ知っているのねえ。」という。

両親も兄も亡き今、一番の年長者として祖父母を含めた肉親の事を、書き残しておかなければと思った。

夫は40年近く印刷会社に勤めていたし、弟の一人は現職の印刷屋だ。力になってくれるだろう。

人はきっとおこがましいというだろうが、でも私だけが知っている事実もある。

きょうだいも下の方になると、親との縁も短くうすくなる。

末弟は母が亡くなった時、中学一年生だった。

ヒダカハナシノブ

「学校から帰っても、おふくろが居ないんだと思うと、押し入れに入って泣いた事が何回もあった。」と、弟が後年話していた。祖母や姉達はその事を誰も知らなかった。

子供を持つ身になっていた私は、ああ母の事を文章にして知らせなければ、とその時思ったものだった。

私は絵も描けず、書もたしなまぬ。この世に何も残すものが無い。

たった一つ拙文を書くことだけの私である。

きょうだいとその子供達十数人に、ささやかでよい、文章だけは一冊にまとめて残したいと思っている。

(1992年7月)