レ. 母親でーす

ある夜、私は札幌の娘の家に居た。その日の夕方大樹から来た所だが、娘は未だ勤めから戻っていなかった。電話のベルが鳴った。

「長屋ですが?」

「みどりでえーす!」

と電話の声の主は言う。これは娘と間違えているなと思い、よっぽど「母親でえーす!」と同じ調子でと思ったが押えて、「母親でした。未だ純子は帰っていないのですが。」

「まあ! 失礼しました。似ていらっしゃるので。」にはじまって、娘の友達とかなりの長電話をした。

私は「お友達の皆さん、おしあわせな結婚なさってうらやましいですわ。純子だけ一人でがんばってますけどねえ。」

「立派にお仕事をなされていらっしゃるんですもの。お母さんは時々は出ていらっしゃるんですね。」

「純子は父親が退職したんだから、戻ってこいというんですが、家を建ててしまったものですから。簡単にはいきませんので。」

「そうですよねえ」と、後は用件の打合わせで電語は切れた。

娘が戻ったので、みどりさんからの電話の内容を伝えた時「母親でえーす」とは言わなかったがと言うと、久し振りに娘の大笑いを聞いた。一人暮らしでは笑う事もまれだろうと思う。

でも、2、3日して私が大樹に帰る朝、娘は「来てくれると楽な事もあるけど、いつものぺースがくずれるんだよね。」とこれはまあー成長というか、進歩ともとれる言葉を残して出勤して行った。

(1988年8月)