④知床さいはて旅情

35号 平成16年3月発行

山あり谷ありの結婚生活。 持病のある夫と共に50年の金婚の年を迎えられて、信じられない思いで日々暮らしている。千葉県の義弟夫婦が以前より「知床へ行きたい。」と話していたので、 私達もそれを記念旅行にと、4人で行く事にした。

7月末「秘境知床半島横断と道東さいはて旅情」という長い名前のツアーに決定した。

札幌駅を朝9時のJR特急で発ち、網走へ。すぐに貸し切りバスに乗り換えて3ヶ所程見学して、 夕方7時に宿に到着が1日目の旅程だった。晴れ渡った陽の中を「小清水原生花園」「オシンコシンの滝」を見た。 その後ウトロの宿を素通りして、バスは「知床五湖」を目指して走った。

峠を登り始めると「ヒグマ生息区域」の立看板があちらこちらに見掛けられた。 バスガイドが「動物を見つけたら『右○○』『左○○』と声を掛けてください。」と言うまもなく、エゾシカが何頭も両側の窓から眺められた。 皆は一様に喜びの声を上げた。

少し車が進むと「ヒグマ右」とバスガイドの叫び声。 頭が薄茶色の大きそうな(半分は草の中)ヒグマが、じっとバスを見ている。

ツアー客は興奮の声を出していた。少し車が走ると今度は小さい子グマと一緒の親子グマ。こちらは真っ黒い毛をしている。 車は一時停車した。

やがて「一湖」に到着したが、 残念ながら通行禁止の縄が張られていた。きまりの6時迄はゆっくり見物できる予定だったが、明日に期待を残してウトロの宿へ、 来た道を戻った。「知床五湖」のうち、今はせいぜい「二湖」迄で、その奥は殆ど通行禁止との事である。

「一湖」へ向かう時、動物写真家がたくさんのエゾシカがいる草地にカメラを添え付け、 腹這いになって撮影していたが、帰りに見るとカメラを残して車の中にいる。

きっと私達が見たヒグマが近づいて来たのだと思う。くわばら くわばら。

翌朝、霧の中を再び「一湖」に向かう。水辺へ歩いて行ったが、周囲の景色は見渡せず、 とても残念だった。

先程通った道を戻って知床横断道路を通り、羅臼へ向かう。 もうエゾシカが居ても皆無関心!新聞報道によると、知床半島には400頭以上のヒグマが生息していると推測されるらしい。 どこに出て来ても当然と言える。

峠を越えると霧がぱっと晴れて、 素晴らしい眺望の中をバスは進む。羅臼岳は山頂に雲をかぶっているが、 ガイドが「北方四島の国後島がくっきりと細長く水平線に見えます。」と言った後で「今回のツアーの方々は、どういう人達でしょうか? これが普通だとは思わないで下さいね。この時期にヒグマに会える。 また、国後島が見えるという事は、そんなにある事ではないのですから・・・。」と上げたり下げたりの説明に力が入る。

羅臼に入って、マツカウス洞窟で光ゴケを見た後、 野付半島・納沙布岬と道東のさいはての地をめぐり根室の宿に夕方到着した。

3日目は、午前中霧多布湿原を通り厚岸へとバスは進む。昆布採りの時期であり、好天の日だったので、 行く先々で夏休み中の子供達も手伝って、一家総出で昆布干しをしていた。それをバスの中から見ている私は、 何という贅沢な旅をしているのかと胸がうずく。

やがて釧路湿原に車は向かった。

こんどは、タンチョウが2羽・3羽と民家のそばにたたずんでいた。 昨日は誰かキタキツネが居ると叫んでいた。小動物は車の中からは見えないが、沢山の野生動物と出会った旅となった。

折も折、この10月16日に知床が道内初の世界遺産に推薦されたと、環境庁から発表があった 。とても嬉しく思う。

私の父は旧国鉄職員で、この旅で訪れた道 東の村には、多少なりと関わりがある。

だが小学生の頃3年間住んでいた標津町は羅臼側の付け根にある町だが、 戦前の事でもあり一般人が知床半島に足を踏み入れるなど、とても考えられない時代であった。

この記念旅行が、はからずも60数年の歳月を経て、 やっと知床の真髄にふれる事が出来た旅となり、感慨無量である。

エゾシカ