2.「祖母と菜っ葉」
エッセイ集「祖母と菜っ葉」
エッセイ集「祖母と菜っ葉」
1995年11月1日 自費出版
1995年11月1日 自費出版
筆者:長屋英子
筆者:長屋英子
カット:長屋順子
カット:長屋順子
写真:長屋隆夫
写真:長屋隆夫
はじめに
はじめに
1977年、札幌から大樹の住人となりました。
1977年、札幌から大樹の住人となりました。
夫は、一年前から単身赴任生活を送って居りましたが、息子と娘がそれぞれ、大学、高校を同時に卒業したのをしおに、五月、私一人が転居して来ました。
夫は、一年前から単身赴任生活を送って居りましたが、息子と娘がそれぞれ、大学、高校を同時に卒業したのをしおに、五月、私一人が転居して来ました。
夫の在職中は自分の時間が充分ありましたので、「樹影の会」の仲間に入れて貰いました。6、7名のグループで詩・文章を月一回の例会に提出して、合評する会でした。
夫の在職中は自分の時間が充分ありましたので、「樹影の会」の仲間に入れて貰いました。6、7名のグループで詩・文章を月一回の例会に提出して、合評する会でした。
1986年9月より、道新特別文化講座、「大樹エッセー教室」が発足しました。殆どの会員と一緒に私も受講生となりました。
1986年9月より、道新特別文化講座、「大樹エッセー教室」が発足しました。殆どの会員と一緒に私も受講生となりました。
講師の諸先生方より、度々手厳しい批評、時にはおほめの言葉もちょっぴりまじえた指導をしていただきました。
講師の諸先生方より、度々手厳しい批評、時にはおほめの言葉もちょっぴりまじえた指導をしていただきました。
私が、「樹影の会」「エッセー教室」で発表した未熟な文章を、町民文芸「樹」に投稿したり、数編ですが、道新の「エッセー教室作品」の欄に掲載してもいただきました。
私が、「樹影の会」「エッセー教室」で発表した未熟な文章を、町民文芸「樹」に投稿したり、数編ですが、道新の「エッセー教室作品」の欄に掲載してもいただきました。
二十年近く書いてきましたこの間の文章を、一冊の本にまとめたいと思い立ったのは、本誌の「弟妹の為に」の中に書いております。
二十年近く書いてきましたこの間の文章を、一冊の本にまとめたいと思い立ったのは、本誌の「弟妹の為に」の中に書いております。
私は、山形県から移住してきた祖父母をはじめ、厚岸で生まれた父、東京生まれの母、釧路で生まれて47歳の人生だった兄の5人もの肉親を失いました。
私は、山形県から移住してきた祖父母をはじめ、厚岸で生まれた父、東京生まれの母、釧路で生まれて47歳の人生だった兄の5人もの肉親を失いました。
年長者である私が65年を生きた証として、素顔のまま書き綴ってきたこの書を、弟妹、子供、孫、そして甥や姪に贈りたいと思います。
年長者である私が65年を生きた証として、素顔のまま書き綴ってきたこの書を、弟妹、子供、孫、そして甥や姪に贈りたいと思います。
1995年 筆者
1995年 筆者
目 次
目 次
イ 親離れ子離れ
イ 親離れ子離れ
ロ 離島への旅
ロ 離島への旅
ハ 車内談義
ハ 車内談義
ニ 風が悪い話
ニ 風が悪い話
ヘ 五右衛門風呂
ヘ 五右衛門風呂
ト 男と女
ト 男と女
チ コルチカム
チ コルチカム
リ 旅の中から
リ 旅の中から
ヌ 姑になる心得
ヌ 姑になる心得
ル 二人きりの正月
ル 二人きりの正月
ヲ 危機一髪
ヲ 危機一髪
ワ 二人のじゅん子
ワ 二人のじゅん子
ヨ フルムーン考
ヨ フルムーン考
タ 安曇野の友
タ 安曇野の友
レ 母親でーす
レ 母親でーす
ソ 我が家の整備士
ソ 我が家の整備士
ツ 朝がゆ
ツ 朝がゆ
ネ 外人とおばさん
ネ 外人とおばさん
ナ 冷房ぎらい
ナ 冷房ぎらい
ラ 出会い
ラ 出会い
ム 突然クラシック
ム 突然クラシック
ウ かきもち
ウ かきもち
ヰ 春の夜
ヰ 春の夜
ノ 車と娘
ノ 車と娘
ヤ 丙午と母
ヤ 丙午と母
ケ アポイ岳に登って
ケ アポイ岳に登って
フ お互いさま
フ お互いさま
コ 亡き友に捧ぐ
コ 亡き友に捧ぐ
エ 祖母と菜っ葉
エ 祖母と菜っ葉
テ 我が夫婦
テ 我が夫婦
ア 国際車掌
ア 国際車掌
サ 弟妹の為に
サ 弟妹の為に
キ 私は十勝人
キ 私は十勝人
ユ 初めての運動会
ユ 初めての運動会
メ 宅配便 二話
メ 宅配便 二話
ミ 「もうーいいー」
ミ 「もうーいいー」
シ 小さな個室
シ 小さな個室
ヱ 礼状
ヱ 礼状
ヒ さい果ての街へ
ヒ さい果ての街へ
セ 「霧の街」
セ 「霧の街」
ス 寄稿・おわりに
ス 寄稿・おわりに