⑦厄日と謎

38号 平成19年2月発行

私の人生七十数年にしてはじめて骨折の経験をしてしまった。それは二月一日、前日からの厳しい寒気で、札幌の道路はどこもツルツル状態の日であった。

その悪条件に加えて、心理的にも落着きのない一日だった。

朝刊のおくやみ欄で、妹の九十四歳になった姑さんの訃報を知り、妹にすぐ電話をした。前から帯を貸す事になっていたので。二、三回したが通じず「どうしよう」と思いながら、午前中に歯科の予約日だったのを思い出して朝、家を出た。

登校中の中学生が何人も氷に足をとられて転んでいるのを目にし、私は慎重に地下鉄の駅に向かった。

昼前には帰宅し、午後生協の配達品を受け取る前後も、妹に電話をしたが通じない。市内に居る弟に連絡して、お通夜に一緒にと打合せをした。六時からのお通夜には五時前には出なければと、早い夕食をとる。妹も当然その場で会えると信じ、白石の葬儀場へ向かった。

その日の道路は昼間も全然解けない寒い日だったので、地下鉄からは弟とタクシーに乗車。式場について探したが妹の姿は無かった。妹の夫の身内から、私の妹一家は旅行中だと聞かされていたが、日頃の妹と一人娘のムコ殿との仲を考えると、一緒にとはとても思えない。

妹の夫は、六年前から応答の出来ない症状になって入院中であった。小姑三人のうち下の二人からは「遠い所(?)をわざわざありがとうございます」と礼の言葉を受けたが、長女からはお礼どころか「弟の嫁として当然出席してほしかったのに・・」といや味たっぷりに言われた。

妹は式が終わっても姿を見せず、帰りのタクシーの中で弟と「どうしたんだろう」とくり返しながら、それぞれの家路に向かった。

最寄の駅からは二丁程の我が家。タクシーに乗ることもなかった。後で考えると大通り駅で降りてタクシーにすれば良かったなと、いくら考えても後の祭りだった。

我が家のあるマンションが見える交差点に差しかかった時、歩道の氷が斜めになっていた所をのぼりきれずに足をすべらせて、「どしーん」と尻もちをつき転んだ。

若い娘さんがすぐ前を歩いていて、「大丈夫ですかー」と助け起こしてくれた。「ありがとうございました」と私はお礼を言いながら立ち上がった。左手に違和感がある。近くの外灯にすかして見ると、手首がずれている感じがした。痛みはあまり無いが、何か変だ。でもお尻の方がとても痛い。幸い右手は使えるので、鍵をあけ三回の我が家へとエレベーターに乗った。

何か不安というか、この儘で明朝迄はどうかなと考えた。子供達はそれぞれ遠いので親しい隣人のお宅へ行く。七時半位で、ご主人も居たが「救急車を呼んだら良い」との事、家に戻り電話をする。「すぐに行きます」係の答えに、夢中で喪服を着替え、必要品を用意した。程無く、「ピーポー、ピーポー」と聞こえてきた。一瞬夫の時の事を思い出したが、振り切って下へ降りて行った。

その夜の整形外科の当番病院は二十何丁も離れていた。車中で色々と隊員から質問された。病院の前の道もツルツルで、かかえられて中へ。大きな待合室は人で溢れていた。でも、救急車で運ばれた人は先に診てもらえるが、次々と到着する救急車の怪我人の中でも、頭を打った人などは、すぐにレントゲン室へ直行。三十分程で私は先ず診察室へ。若い医師は左手首や指は動くので「骨折ではないかも」との診断だったが、その後のレントゲンの結果、真ん中の骨は折れていないが、両側に二本あるうちの一本が折れていると判明。その日は肩から左手を吊って貰い、翌日主治医に診て貰う為の必要書類を受け取り帰宅。

眠れぬ一夜を過ごし翌朝病院へ行った。主治医は利き手の右手ではないし、年齢を考えてギブスにしましょう、と言ってくれた。前夜、手術になるかもと言われていた不安からはのがれたが、その後に試練が待っていた。

後で考えると「痛いですよ」などと言われたら構えてしまうので、二人の係の人に私の体を押さえさせた医師は、左手首を持ち何も言わずに「ぎゅー」と音がしたかどうか分からないが、先ず真ん中の太い骨、次々に両側の折れたり、ずれたりした骨を含め三回治された。「痛い」と言う間もなく、あっという間の出来事だった。

それからの二ヶ月、親から貰った人間の体に無駄なものはない、左手の存在がいかに大切かを思い知らされた。

両手でしていた事を、右手で二回に分けてする。勿論出来ない事は沢山あった。

娘が帯広から二週間。息子夫婦も何かと手伝いに来た。妹もこれ迄通り時々泊まりに来てくれた。弟も傍に居た。

でも、未だに妹のその日の心境、居場所は謎である。新聞のおくやみ欄を見たが全然目に入らなかった。信じられないと言うばかり。妹の娘一家は確かに旅行中だった。同居している妹は、その日家に居たのか?何処の居たのか?私の家族もお世話になったお姑さんである。

「行かなくては」との思いがこんな結果をまねいたが、これは私に与えられた運命と誰も恨まずに過ごしている。思う事は、この冬は一段と気をつけようと、そればかりを考える毎日である。猛暑だった今年の夏の間は、大雪とツルツル道路をすっかり忘れていたが、朝夕の涼しい風にふと不安がよぎる。