⑤小姑のいない私

36号 平成17年3月発行

「小姑の居ない姉さんには、M子の気持は分からないでしょうね」

すぐしたの妹Y子が言ったのを聞いた時、私は、あゝ言わなければ良かったと思った。

私達四人姉妹の三番目のM子が、今年四月病がちだった六十五歳の人生を終え亡くなった。

八月上旬、初盆の墓参りの日の出来事である。帯広は35度にもなった猛暑の日で、早々に墓参りから戻り、亡くなったM子の家で昼食を摂る事になった。

他の家族は仕事などで不在で、甥の嫁とM子の唯一人の孫娘が居た。甥の嫁が、車の運転から接待などまめまめしく世話をしてくれていた。

そのうちに、亡きM子の形見の洋服などをそれぞれが受取り、思い出話になった。

働きの良い夫を持ったM子は、お金に頓着無く、きれいな服が好きでどんどん買っていったねぇと誰かが言い、次々にいろんな話が出た。

その後に、私が義弟の姉で漁師に嫁いだ人から、何回か言われた話をした。

「弟に美味しい魚を食べさせたいと持って来て、冷蔵庫に入れて帰り、何日か後に又別の魚を持ってくると、前に持ってきた魚がそのまんま入っていたので、本当にがっかりしたよ」

と聞かされたと言った後「申し訳ありません」と私はその度に謝ったとも付け加えた。

それが死者にムチ打つ結果になってしまった。私は、矢張り姑根性で甥の嫁に「そんな事の無いように」と言いたい気持が、ちょっぴりあったのかもしれない。

「義姉さんが持ってきてくれる魚が迷惑なら、次に持ってきてくれる前に、捨てゝしまえば良かったのでは」と迄私が続けて言った。その時にすぐ下の二女Y子の、冒頭の発言となったのだった。その後、

「M子にすればさわるのもいやだったのでは?もっともうちのお父さん(夫)ならさっさと自分で、その魚を調理してしまうけどねえー」

すると一番身近に居て良く知っている四女のT子が、

「確かにY子さんは、食べ物の管理はあまり上手ではなかったよねえー」

と助け舟を出してくれて、一件落着となった。

昔から「小姑は鬼千匹」と言い伝えられている。私以外の三人の妹達には皆何人かの小姑が居る。

私には義弟が一人居るだけ。矢張り小姑の居ない私には、居る人の気持を理解出来ないという結論のようではある。