前のページでは、
またまたシャドーイングをする小学生について
お話しさせていただきました。
今回は、
前回保留にした「文法」についての話を
片づけてしまいましょう(^^)/
例えば、 "3単現では動詞にSを付ける" というルール。
非常によく “知って” います。
実際によく、 “教えて” もいます。
でも、この中学1年で習うような『文法』でさえも、
私は未だに「できない」ことがあります。
英語で話すときに咄嗟にできるかというと、
そうでもないことが多かったりします(^_^;)
もう1つ。これも中学1年の文法です。
"Do you have a driver's license?"と聞かれ、
咄嗟に"Yes,"に続けて、
"I have…" と答えてしまったことがありました(^_^;)
もしもその時、私の頭の中で、
“I have the one.”の省略として言ったのであれば良いのですが、
そうではありませんでした(>_<)
「“Do”で聞かれたら“do”で返す」という意識が、
「“Have”で聞かれたら“have”で返す」と混ざってしまった
のではないかと感じました。
この原因は、私の "英語力" の「貧弱さ」以外の何物でもありません。
でもそういった実際に「話す」時にジャマになる意識
みたいなものを、どこで身につけてしまったかというと、
やはり学校や塾などで行われている
「受験英語」という仕組みの中ではないかと感じています。
その過程で知らず知らずのうちに身に付けてきた、
『植えつけられたイメージ』なのでないかと思います。
とはいえ、話している『内容』が伝わっていれば、
ホントはそれで十分なのでしょう…。
初めて英語のテープを聞くような子どもたちが、
自分でも声に出して言ってみようとしている姿を見ていると、
本当に「スゴイなぁ!」と、密かに感動してしまいます。
「知ってる」ことと「できる」ことというのは違うんだよ~、
と教えてもらっている気持ちになります。
このように、『多読』の良いところというのは、
「教える」・「教わる」という2つの関係が
“固定化” され(すぎ)ていないところだと感じています。
私が「教える」ことよりも、
子どもたちから「教わる」ことの方が断然に多い
というのが本当のところです。
長く続けていく過程で、
「“言葉を身につける”というのはこういうことなんだよー!」
ということを、
「身をもって」証明していただけるのではないか
と感じています(^^)/