前のページでは、多読3原則の3つ目
『つならなくなったら後まわし』についてお話させていただきました。
今回は、またまた蛇足の補足を書かせていただきたいと思います。
『つまらなくなったら読むのをやめる』というのは
本当に難しいことですが、とても大切なことだと感じています。
読む本を選ぶ時というのは、その日の気分にもよりますが、
大抵は今自分が読んでいるレベルと同じくらいの本から選ぶようにしています。
それでもたま~に「超キリン読み」がしたくなってしまい、
シャーロック・ホームズの短編集のペーパーバックを読んだりしてしまいます。
それも以前に日本語で読んだことがあって面白かったなぁ
と覚えているストーリーだけを読むようにしています。
もしも途中で面白くなかったりしたら、
最近では迷わず「やめる」ようにしています。
「飛ばす」よりも「やめる」方が、実はラクなのではないかと思うからです。
たくさん読んでいく過程で大切なことは、
『サラっと読んでわかる感覚』ではないでしょうか?
書いてある文章を必死になって“分析”してなんとか理解しようとする
のではなく、音だけでも絵を見ながらでも
「サラっと」読んで「ふか~く」わかるというのが本当
なのではないでしょうか。
それが本来の「読む」という行為ではないかと思います。
「サラっと読めない本」というのは、
「まだ読むべきではない本なんだなぁ」と自分で判断すれば良いのだと思います。
『楽しく読む』というのは、
『自分の内なる声に、素直に耳を傾ける』ということです。
テストがあるから・・・、受験だから・・・と
「まだ読むべきではない難しい文章」ばかり読んでいると、
良くも悪くも自分の発音に慣れて
リスニングに使えない耳のチューニングをするだけに終わってしまう
かもしれません。
まして、テストや受験というのは
苦手意識の下で読んでいるような状態ですから、
英語に触れる量も限られてしまいます。
残念ながら、そのくらいの量では、
その“難しい文章”を日本語に訳さずに「わかる」という状態には、
いつまで経ってもなかなかなりません。
それは登山を、麓から頂上まで「一直線に」登って行くようなものです。
どんなに険しい登りでも、道なき道であったとしても、
今の自分の体力では登れないと明らかに分かる岩山であっても、
とにかく何も考えずに登ろうとする。
登山道具を駆使するかのように「辞書」という道具を多用しながら、
とりあえず内容を理解しようとする・・・。
多読というのはそうではなくて、
まわり道のように思えても、
普通に山を登る時のようにゆっくりでも良いから
「なだらかな道」を『自分の足で』登って行こう、というものです。
その途中では思わぬ生き物に出会ったり、
キレイな花に感動したりできるかもしれません。
その場その場で目にする景色や周りの状況を楽しみながら登っていれば、
知らず知らずと頂上にたどり着いているかもしれません。
ひとつの山で良い思いをすれば、
また別の山にも登ってみようという気になるかもしれません。
例え途中でやめたとしても、
歩いた分だけ確実に脚力はついていきます。
しばらくは他の本で “脚力” をつけて、
また登ってみたくなったら登ればよいのではないかと思います。