前回は、
「始めるためのキッカケ」があるように
「続けるためのキッカケ」もある、
ということについてお話させていただきました。
今回も前ページの補足として、
「文」としての英語の音
について、書かせて頂きたいと思います。
“発音記号”というのはどの辞書にも載っていますが、
あれらは「“単語”としての音」を記号化したものです。
辞書によっていくつかの種類があり、統一されていません。
“発音が良い”というのは、
発音記号通りに単語が言えるということよりも、
『流れるように英語が言える』
ということではないかと感じています。
それが「文」としての英語の音です。
中学・高校までの私の場合、
“単語”ひとつひとつの練習をすることはあっても、
英語を「文」として扱うことがありませんでした。
それでは「文」としての英語の音に触れる機会はまったくありません。
いつまで経っても「棒読み」が抜けず、
かといって英語が「読める」ようになるにはどうすれば良いのか?
ということを考えるわけでもなく、
ただ単に「単語の意味」を調べて
日本語で文章を理解しようとしているだけでした。
どんなに頑張っても
「不自然な“理解”」
「どこか不安な“理解”」
という状態から抜けられず、
要するに「よくわからん!」という感覚を常に持っていました。
“テストのために必要なところだけわかっていればなんとかなる”
という理由から、最小限のことを理解して、
だいたいの事がわかっているような感覚になっていました。
しかしそれでは、いつまで経っても
『流れるように読める』ようになったり、
『文としての英語を言える』ようになったり、
自分の体で英語をコントロールできる状態になれる筈がありませんでした。
「文」としての音になると、
発音記号ですら “絶対” ではなくなってしまいます。
それは英絶の第2ステップの書き取りで知ったことですが、
英語本来の音では、
リズムを付けて言うために、
そしてスピードを付けて言うために、
“単語”と“単語”の音がつながったり(連音)、
言いやすい音に変わったりしてしまいます。
例えば野球で3・4・5番打者を呼ぶ時に使う
「クリーンアップ」という言葉。
これは「 Clean 」と「 up 」ではなく
「 Cleanup 」や「 clean-up 」と表記されるようです。
そして音も「クリーンアップ」ではなく、
「クリー(ン)ナップ」という感じになります。
日本語でも、野球中継のアナウンサーなどが
「クリーンナップ」と言っているのを聞いたことがあると思います。
同様に、「ワン アウト」を「ワンナウト」と言ったりもしますが、
どちらも「n」の音が、「 up 」や「 out 」とつながって
別の音になっている身近な例かと思います。
これが英語の文の中で何カ所も出てきたりするのですから、
それは「“発音記号”どころじゃな~い!」
というような状態になってしまいます。
それでもやはり、
「英語の音」というはカタカナなどで書き取れるものではなく、
文としての英語の音であっても、
アルファベットで表すのが自然なことではないかと思います。
先ほどの例で言うならば、
「クリー(ン)ナップ」は
「cliinap」とか「kliinap」、
「ワンナウト」を「wannaut」というように、
『純粋に音だけを表すことができる』という事も
大切ではないかと感じています。
その状態から少しずつ、「正しいスペル」につなげていくと、
Phonicsのような「英語の音と文字の関係やルール」
が身についてくるのではないかと感じています。