前回は、多読の広がりについてお話しました。
今回は、前のページの内容を引き継いで、
英語を「使う」とはどういうことなのかということを書かせていただきたいと思います。
いつも通り、結論から申し上げさせていただきますと、
「感動するため」ではないかと思っています。
言葉を使う中での様々な経験、そこから来る「感動」というものは、
言葉を使うことでより増してくるものだと思います。
それは外国語を学ぶ過程で何か大きなものを得るというレベルの話ではありません。
むしろその言語を「使って」触れていく物事から得る、
自分の中から湧き出てくる「感情」、
それを自分の心がどう「感じて」「動く」か・・・。
そこにこそ言葉を使うということの意味が現れてくるのではないかと思います。
要するに、「生活する」ということです。
生活する中でやっていること、
日本語を使って日常的にやっていることというのは、
言葉を「使っている」ということになります。
海外で暮らしているわけではなくても、
生活上その言葉を使って何かを楽しむことは可能です。
例えば読書。時間に縛られることなく、
自分にとって自由な時間に自由に英語を使って内容を楽しむことができます。
その他にも、音楽を聴いたり、歌を歌ったり、テレビを見たり映画を見たり、
新聞を読んだり、仕事をしたり、電話をしたり、メールをしたり、話をしたり、
飲みに行ったり、スポーツをしたり・・・などなど、
およそ私たちが日常的にやっていることの中で英語なら英語を、
他の言語であればその言語を実際に「使う」ということは、
とてもむずかしいこと、バイリンガルの人じゃないとできないこと、
そういう “意識” というものは、誰もが持っているものだと思います。
しかし、多読のようにできるところから、楽しめるところから始めて、
長~く続けていかない限り、実際に「使えてる」という経験、
そこから来る「感動」というのは、一生味わえなくなってしまいます。
ちょっとしたことでも、そうした感動に触れることができれば、
楽しかったり良い気分になったりします。