前のページでは、
多くの人がunlearnせずに英語に接し続けることができるような
『環境』が必要ではないか、というお話しをしました。
今回は気分を変えまして、
以前の職場で実際に多読を身近で見てきた経験
について書かせて頂きたいと思います。
私は以前、埼玉県のとあるフリースクールに勤めていました。
そこに通っていた16歳の青年の話です。
当時の臨場感を大切にするため、原文のまま掲載させていただきます。
彼は高卒認定試験を受けるために7月に入会し、
8月までのちょうど1ヶ月の間に、
なんと「1万語」を通過しました!
こんなに早い人は初めてです!
一応、英語の “授業” らしきものをやりながらの多読ですので、
多読のみの実践になれば、もっと早いかもしれません。
YL(読みやすさレベル)で言うと0.0から始めて、
0.2~0.3の絵本を多めに読んでいました。
そして先日、0.4の本を大量に借りていきました。
この辺りのレベルになると、
1冊の中で100語を超えるものが出てきますので、
読むのが少し大変になるかもしれません。
しかし、この方は
「0.3も0.4も、そんなに変んないですね」と言って、
借りていきました。
レベルを上げる時に必要となる「バロメーター」を
自然と身に付けている良い例ではないかと思います。
上のレベルであっても、
自分にとってそれほど違和感なく、
それまでと同じように読めるのであれば、
レベルを上げることに躊躇する必要はありません。
最初の頃は「単語で読もうとしている」印象を受けましたが、
最近では、少しずつ「文で読もうとしている」ようになってきました。
毎回ひとつひとつの単語の意味を確認しなければ気が済まなかったのですが、
読んでいる途中で立ち止まるのではなく、
その本を1度読み終わった後で改めてページをめくってじっくりと考える、
という形になってきました。
最初はどうしても、日本語に訳さないと心配になったり、
和英辞書を引いてみたりすると思います。
自分の中で不安なところは確認したり調べたりするのは、
あながち悪いこととは言えないかもしれません。
私も高校までは、あれほど日本語に訳さないと理解できなかったにもかかわらず、今では英語のまま「わかる」ようになっています。
全ては『量』が解決してくれるのではないかと感じています。
「訳読方法」というのも、
英語に触れる「ひとつの機会」と考えても良いのかなぁとは思いますが、
英語を英語のまま理解できるようになるほどの量
に触れる時間や機会を逃がすことになってしまうという危険性は確実にあります。
彼の場合、1ヶ月経って “単語ひとつの意味” ではなく
「文としての意味」
「どういうことを言っているのか?」
ということを感じようとする “クセ” とか “習慣” というものが
「体化」されつつあるのではないかと思います。
“単語” を調べる必要がある時も、
必ず英英辞典を使い、その説明文を私が読んで、
ヒントを出しながら「わかる」ところまで持っていくようにしています。
こういう方法は、確かに「手間」がかかります。
一見 “遠回り” しているようにも思えます。
しかし、そういう時の
「あぁー!」と思わず声の出る『わかった!』と、
訳語を言われただけの時の「わかった」というのは、
明らかに「わかった度」というものが異なるのではないでしょうか。
“dinnerは夕食という意味” と言われた時よりも、
dinnerという言葉を英英辞典で引いた方が、
本当の意味や使われ方というのが理解できることと同じです。
しかし、ある “単語” の意味を深~く理解することよりも、
英英辞典の説明文を「読める」ようになる、
「わかる」ようになるということの方が、
はるかに大切な、目指すべき方向ではないかと思います。
それには通常、時間がかかります。
だからこそ、早いうちから英英辞典に慣れる必要があるのだろうと感じます。
英英辞典を使えるようになるというのは先の話かもしれませんが、
彼の1ヶ月の多読を見ていて、
スゴイ事に気づかせて頂きました!
それについては次回、お話いたします!