前回は、「地味~な練習」の大切さと、
言語習得における『素振り』に値するもの
はどういう事かというお話をさせて頂きました。
そしてそれは、
自分が目標としている能力によって人それぞれ変わってきてしまう、
ということも書かせていただきました。
でもです・・・。
「受験英語」や「英会話」に代表されるように、
「読む力」や「解く力」、「話す力」と「聴く力」などと、
これらを全て“別個のモノ”と考えてしまうと、
実はかなり大変なことになってしまうのではないかと感じています。
“なってしまうのではないか”ではなく、
『なってしまった』んです・・・。
そして今でも『なっている』のです・・・。
中学校(小学校)から英語を勉強させられて、
高校では、訳の分からない“暗号文”のような英語を日本語に訳す
という“訓練”なるものを強要されて、中学・高校を通して
“プロ”の英語教師の口から出る英語の音
だけを中心に聞かされ続けるばかりに、
リスニングに全く役立たない耳が育てられてしまい、
結局自分で「音」を入れ直さなければならない・・・。
私自身も、その犠牲者のひとりでした。
これは、高校までに如何に「音」を無視して、
文字だけを使って英語を学んでいたかということです。
「スペル」や「訳語」にこだわり、
“英語というのは日本語に訳さないと解ったことにはならない”
と思わされていました。
中学校では「受験」のため、高校でも「受験」のため、
英語というものを「教科として」勉強してしまう・・・。
大学に行く頃になると
自分が英語を「使えない」「話せない」ということに気付く。
かといって、どうすれば良いかわからない・・・。
とりあえず「英会話」のための何かをやってみる。
しかし、その頃には英語のためだけに使える時間はなかなか無い・・・。
故に、続かない・・・。
これは一種の『詐欺』ではないかと思います。
『英語教育の悲劇』というのは、こういう事をいうのではないかと思います。
しかし、何度でも強調して言いたいことですが、
こんな『詐欺』に引っかかるのは、
私たちの世代までで十分です!!
「受験」のため、
「英会話」のため、
「リスニング」の能力を身に付けるため、
「リーディング」の能力を身に付けるため・・・などなど、
すべてを “別のモノ” と考えてしまうと、
新たな “目標” に向かう時に、
unlearnするべき(捨てるべき)「クセ」に気付いたりしてしまいます。
「発音」や「イントネーション」がその最たるモノで、
「受験」の時は気にも留めなかった“発音の自信の無さ”について、
「英会話」をやるようになると気にするようになり、
そのネガティブな気持ちが「英会話」自体の上達を妨げてしまう・・・。
それを“克服”するためには、
それまで知らずに身に付けてきてしまった発音
という「クセ」をunlearn・・・捨てなければならないのでしょうか?
友人の大学生などでも、それぞれ専門的な知識を持っているのに
「英語は自信がない」とか「英語が出来たらいいなぁ」と言う人がいます。
非常に『もったいない』話です。
英語についてだけ考えている私のような人間なら、
こんな『詐欺』に引っかかっても、
それもひとつの「経験」と呼べるかもしれません。
ですが、英語以外に専門分野を持ち、
だからこそ英語の必要性を実感してくる方々にとって、
上のような『詐欺』は迷惑以外の何物でもありません。
「エイゴ」は「エイゴ」のはずです・・・。
多くの人がunlearnせずに英語に接し続けることができるような『環境』
が必要ではないかと感じています。
多読を通じて多くの方が、
『自分のやり方』というものを創っていくことが出来たら、
最高に嬉しいことだと思います。