前回は、「文」としての英語の音についてお話させていただきましたが、
今回は、少し違う話をさせていただきたいと思います。
最近は、オシャレな美容室がたくさんあります。
どこのお店もガラス張りで
店内がよく見渡せるような造りになっていますので、
お客さんや店員さんの様子がよく見えるようになっています。
どのお店も年齢の若い美容師さんが頑張っている姿を目にします。
仕事柄、夜遅く帰宅することが多いのですが、
そういう時間帯に美容室の店内に目をやると、
マネキンの「頭」に向かってカットの練習をしている
若い美容師の方をよく見かけます。
誰もいなくなった店内で、
ひとり真剣な眼差しで「頭」だけを見て考えています。
ひとつ、またひとつとハサミを入れて、また考える…。
視線は「真剣」そのものです。
そういう姿を見ていると、
誰も見ていないところで独り「ひきこもって」
自分の技術の腕を磨いたり、何かを考えたりすることは、
どんな人でも必要なんだなぁと感じたりします。
英語の場合もまったく同じで、
ひとり「ひきこもって」練習したり、
誰にもジャマされないところで
自分の「英語を操る力」を磨いたりすることが
本当に大切ではないかと感じています。
“コツコツと” と言ってしまうと単語帳を作ったり、
問題集を解いたりという事を想像する方も多いかと思いますが、
そういうことではありません。断じて違います。
「話せる」ようになるためには「話す練習」をコツコツと・・・。
「聴ける」ようになるためには「聴く練習」をコツコツと・・・。
「読める」ようになるためには「読む練習」をコツコツと・・・。
「書ける」ようになるためには「書く練習」をコツコツと・・・。
私が高校生の時というのは、
こういう意識が全くありませんでした。
単語帳や問題集をひたすら解くことは「違う」と思いつつも、
「じゃ、どうしたらいいのか」ということは分かりませんでした。
「英語を操る力」という点で振り返ってみても、
『耳のチューニング』すら出来ていない状態で、
「話す練習」どころではありませんでした。
テストでは「英語を操る力」は身につきません。
頭の中の暗記だけでは
「体で英語を操る力」につながっていきません。
単語帳だけでは、「文(章)」が分かるようにはなりません。
問題集だけでは、『英語を「使う」感覚』に気が付きません・・・。
誰もいない時に、誰にも見られない所で、
ひとり「コツコツ」と練習をする。
誰に誉められるわけでもなく、
誰に「けなされる」こともなく、
自分の体で “ハサミ”という「道具」を
上手に操れるように練習する…。
咄嗟(とっさ)の時に、使えるために・・・。
“ハサミ”も英語(言語)も、
人間が創り上げてきた「道具」です。
人の側が上手に操れてこそ、
道具が「道具」として “有効に” 使われるのではないか
と思っています。