前のページでは、『流れるように読む』という事と
『下書き』の一番良いのは『文としての音のトレーニングができるところ』という話しをしました。
飽くまでも私の「今の感覚」ですが、
1本のテープで第1ステップに1ヶ月と1週間、
第2ステップに3ヶ月、
第3ステップに3ヶ月くらいの時間
を当てれば良いのかなぁと感じています。
私も最初は時間ばかりかかっていました。
各ステップで何に注目してやるべきなのかということがまったく分かっていなかったからだと思います。
第3ステップまで行うのに7ヶ月と少しと言うと“カンタン”な印象を受けるかもしれませんが、
「毎日やる」ということがどれだけ大変なことか!
容易に考えていた人ほど、挫折してしまう可能性も増していくと思います。
私の場合は、1年以上かかりました(涙)
「1日○時間!」とか「○時間書き取り、○時間音読する!」などと決めずに、
『1日5分でも10分でもいいからやる』くらいの “意識” と呼べないような意識で、
少しずつでも良いから『続ける』という気持ちが大切になってくるのだなぁ、
と思うようになりました。
●「単語」という言葉について
前のページでは、“単語”の「なに」がそんなに大事なのか、という話しから、
これまでの英語学習における “単語の理解の道順” と
多読における “単語の理解の道順” は
ちょうど反対のようなものであるということを書かせて頂きました。
個人的な感覚かもしれませんが、
英語教育において近い将来、“単語”という言葉は使われなった方が良いのではないか
と感じています。
“単語”と呼んでしまうと、あたかも「決まった意味」や「単一(ひとつ)の意味」しかない
というような印象を受けてしまいますが、
“単語の意味” を決めているのは『それが使われている状況』です。
状況によって適するものが変ってしまいます。
文として判断するとき、
その “単語” の「直訳」が通用する場合もあれば、そうでない場合もあります。
訳す方が良い時もあれば、訳さない方が自然な時もあります。
どちらにしろ大切なことは、“単語” として扱うのではなく、
必ず “文” として、その『意味するところ』を捉えようとしようということです。
“単語” だけを切り取って「その直訳」を覚えるだけでは、
「英語がわかる」という本当の感覚は味わえません。
“単語”ばかり気にし過ぎていると、
いつまで経っても「文」を読めるようにはなりません。
「話せる」「聴ける」「読める」「書ける」というのはどれも、
暗に『文を・・・』という意味を含んでいるはずです。
もうそろそろ、“単語”よりも“文”が大切にされるようになるべき、
さらには、SentenceよりもParagraphやChapterが大切にされるようになるべきではないかと感じています。