前回は、『自分からの大切さ』についてお話させていただきました。
今回は、現在、多読がどのくらい日本で広まって来ているかという事
を書かせていただきたいと思います。
多読というのは大人用の学習法として始まったものでした。
学校英語で身に付かなかった英語をなんとかしたいという社会人の方などを中心に、
その後大学、高校と次第に広がってきました。
8月に多読学会のワークショップに参加させて頂きましたが、
様々な現場で教えてらっしゃる方が参加していました。
大学で英語を教えている方、
私立中高の英語担当の方、
児童英語教室をやってらっしゃる方…。
それぞれ分科会が持てるほど、多くの方が参加され、
多読について分野ごとに話しを深めていました。
特に顕著だったのは『高専』で英語を担当されている方々です。
全国から何校もの高専の方々が集まり、それぞれの多読の状況を発表したり、
学生の英語力という視点で話したりしました。
高専は教育の自由が保障されているので、
多読のような新しい実践も他種の学校に比べるとやりやすいようです。
また、私立の中高一貫校でも多読を始めているところは多く、
中学生、高校生から多読を経験する人たちも増えてきました。
塾や予備校でも多読を始めているところは多く、
担当されている方々の熱意は凄まじいものです。
いつも面白いなぁと感じることですが、
いま多読が進んでいる教育現場というのが
大学でいうところの「英文科」「国際学部」や高校の「国際科」などではない、
という現実があります。
この文章を書いた2007年当時、
多読の最先端は
「理系の大学」であったり、
「高専」だったり、
「予備校」だったり、
「私立学校」だったり、
「児童英語の教室」だったりします。
公立の中学・高校、外国語関係の大学・専門学校などで
多読をシステマチックに行っているところはほとんどありません。
(2018年現在では、増えてきていると感じます)
日本の英語教育というと中学から始まるそれを想像してしまう嫌いもありますが、
理系の大学や高専など、どちらかというと英語が “本業” でない場所で
多読のような方法がシステマチックに行われているということは、
相当意味のあるスゴイことだと思います。
それぞれの場で担当されている方々が、
これまでの英語教育を見直し、自分でもたくさんの本を実際に読み、
英語を身に付けようとしている人たちが少しでも多くの英語に触れることができるよう、
日々工夫され、環境を整えていっています。
そこに共通しているのは、
『英語に対して素直になる』
『英語力に関して寛容になる』、
そして『本当に英語を身につけるにはどのような道順が必要か』ということを、
常に考え続けているということです。
自分でもたくさんの本を読み楽しみながら、
あとから続く人たちにそれを伝えたり、一緒に楽しんだりしています。
自分の英語に正直になり、学ぶ側の英語力にも素直に、そして寛容になれたら、
何が本当に必要で、
何が本来、後まわしで良いか、
容易に想像できるようになるのではないかと思います。