前回は、英絶の方法を実践してきて、
そっくりそのまま誰かにお勧めすることはできないとずっと感じていた、というお話をしました。
そして、もっと英語教育の『入り口』になるような方法はないだろうかと悩んでいた頃に
『100万語多読』に関する酒井センセイの連載記事に出会ったというお話をしました。
英絶に出会った頃から考えると、
100万語多読に出会うまでというのはある意味「必然」だったのだろうと、今では感じています。
記事の途中、随所で「これだ!」と叫んでいる自分がいました(笑)。
多読に関しては、他のページでご紹介している通りです。
多読というのは非常に奥が深いもので、まだまだ新しい方法かもしれませんが、既にかなり広がっています。
英絶から多読へ。
多読から「多聴」へ、
そして「Tadoku」や「子ども式」へ…。
『話す』という力が必要になった現代では、こうした流れが確実に出てきました。
それは、これまでの受験英語などとは異なる、母語の習得とは『逆の道筋への旅路』であり、
「外国語として学ばせてきた歴史」から、
『母語を覚えるのと同じような道筋で学んでいこう』
『実際に使える段階まで持っていこう』という、
これからの英語教育の主流となるべき方向性ではないか、と感じています。
様々な意見や考え方がある分野ではありますが、
「大切なこと」は共通しているのだと思います。