前のページでは、
「 Lighthouse 」という言葉を知らなかった
というお話をしました。
どういう状況でこの言葉が使われ、
どういう理解をしたのか、ということを書かせていただきました。
「 House 」は「家」じゃなくて
「建物」という感じなんだなぁ、というように、
言葉に対する「認識の幅」「理解の幅」が広がった、
というお話もしました。
その同じ本ですが、読み進んでいくと、
また「初めて見る言葉」が出てきました。
その時も、本当に「わからない」という状態になりました。
同じ文をもう一度読み直してもサッパリ分かりませんでした。
「“oars?” なんだ、こりゃ?」と、その時は思ったのですが、
実は「知らない言葉」ではなかったのです!
多読3原則の2つ目は『わからないところは飛ばす』です。
そして
『その言葉が本当に重要なものであれば、同じ本の中で繰り返し出てくる』
とも言われています。
そのことを思い出し、先を読み続けることにしました。
すると、本当に2回、3回と同じ “単語” が出てきました。
しかしそれでも、どういう状況なのかがよく掴めないでいました。
「主人公が船に乗っている」
という状況なのは分かっているのですが、
この “単語” が何のことなのか分からない状態のままでした。
感覚的に「モノの名前だなぁ」ということは分かったのですが、
それが何なのかが、まったくわかりません。
でも、どうしてなのかは覚えていませんが、
なんとなく「船の装飾品か何かの名前かなぁ」と感じました。
「船の上にある何かの名称かもしれないなぁ」と感じました
(この予想はあながち間違ってもいませんでしたが・・・)。
1、2ページほど、分からないままいつも通り「通読」していました。
そのまま読み進めていると、5、6回ほど出てきた時に、
「主人公がそれを手で持っている」という状況が見えてきました。
そして「主人公が船の上から“ oars ”を引き寄せた」
というような『動き』が見えたように感じました。
その瞬間、「あー!」とひらめきました。
この瞬間は、何年経っても忘れられません!
「な~んだっ!」と、
思わず声に出してしまいました!
わかってしまえば、なんてことはありません。
むしろ「よく知っている言葉」だったりします☆
(→“答え”は個人的に聞いてください。)
どうしてこういう事が起きるのでしょうか?
なぜ、「知っている言葉」でさえも
「知らない」と勘違いしてしまうのでしょうか?
ひとつには
『文字になったその言葉を見たことがなかった』
ということが挙げられます。
「初めて見る言葉(文字の組み合せ)だから発音がわからない」
ということもあるかと思います。
しかし、このとき私は「読み方」は分かっていました。
「英絶」のお陰で、
スペルを見れば発音が想像できるようになっていましたので、
「○○と読むのだろう」と分かってはいました。
では、どうしてそれでも「わからない」のでしょうか?
これは私たち日本人がリスニングに弱かった理由のひとつでもありますが、
要するに『日本語の音(カタカナ語)』と『英語の音』が違い過ぎる
ということだと思います。
『日本語の音』なら理解に結びついているにもかかわらず、
『英語の音』だと全く理解へ繋がって行かない状態ということです。
これは非常に重要なことではないかと感じているのですが、
それはまた、別の機会にお話させていただきたいと思います。