満男のキセキ④

「満男のキセキ③」

第42作「はつらいよ

ぼくの伯父さん

1989年(平成元年)12月27日公開

「満男のキセキ  



前回の掲載

「満男のキセキ①」


前回の掲載

「満男のキセキ②」


前回の掲載

「満男のキセキ


さてさて、今回も前回からの続きである。


第42作「男はつらいよ ぼくの伯父さん」より

満男のバイクシーンのキセキを追っていく。


今回はパート


泉ちゃんを訪ねて、はるばる名古屋まできたが、

そこに泉ちゃんはおらず、

今は佐賀県の親戚の家にいることを泉の母親から教えてもらい

今度は佐賀県に向かう満男なのであった!

泉ちゃんとの再会

関門橋から再び佐賀県へと戻ってきた満男。

佐賀県では最初にエリア🅰️、そしてエリア🅱️へと移動していく。

エリア🅰️

松原神社鳥居でバイをする寅さんとポンシュウ。

「松原神社鳥居」前を通過する満男

満男は赤い矢印方向にバイクを走らせていました。

次に満男が向かったのはエリア🅱️

エリア🅱️

撮影当時はまだ「バルーンさが駅」は建設中であった。

赤い点が満男のバイクの位置。上段が1981年頃で、下段が現在。

満男がバイクで走ったと思われる松原神社鳥居からのルート。

泉ちゃんの家に向かっている途中での寄り道なのか・・・。

そこからバルーンを見ながら南下し、そして橋を渡り北上したと思われる。

ついに満男は泉ちゃんとの再会を果たしたのである!

およそ1,300kmの旅であった。満男!お疲れ!!

ちなみに満男の乗っていたバイクは  HONDA 「VT250 SPADA」

流石に250ccで走るにはキツかったのか、この次の作品ではバイクを乗り換えていた満男なのであった。

1990年公開 第43作「男はつらいよ 寅次郎の休日」で乗っていた満男のバイクは

HONDA「CBR250R」1年のみ生産されたレアな1台。

余談ではあるが、その後の44作ではKawasaki「GPZ400R」と排気量がアップされている。

バイクついでに・・・

一瞬映るこのバイクは・・・

ホンダ シャリィ

あ・・・忘れてた。

ほら、あん時のソングブック

欲しがってたろ?

うわあ どうもありがとう!

ベイビー

俺は転がる石のように・・・

あ、あの本当に泊まる所あるの?

もしないんだったら叔母さんに頼んで・・・

大丈夫。いざとなったら駅ででも寝るさ。

その晩は エリア🅰️ に戻り、「ゑびす旅館」へ泊まる満男であった。

翌朝の風景

カメラが上にチルトしているのでつなげてみた。

2013年頃までは、ゑびす旅館の建物はあったが、現在は無くなっている。

カメラから反対方向。

場所はエリア🅰️

吉野ヶ里遺跡

翌朝、満男は泉と二人でバイクに乗って泉の生まれ故郷へと向かう。

その途中で吉野ヶ里遺跡に立ち寄り、偶然寅伯父さんと出会うのであった。

1975年航空写真(引用:国土地理院)

映画の右側に映っている家(赤マル)

1991年航空写真(引用:国土地理院)

この家はきっと色々と大変だったのではないだろうか。

あくまでも個人的な想像ではあるが、古くからこの地に住み静かに暮らしていたはずが、遺跡が発見されたことで家の周りが激変。一気に観光地化されたことで、道路整備や拡張工事など毎年のように環境が変わっていったと思われる。

この何気ない3秒程度のシーン、これもまた歴史の1ページ、そして思い出の風景なのだ。


赤マル位置が、現在この風景が確認できる一番近い場所。

現在は道路がなくなったため同じ場所で写真は撮れないが、

少しズレた場所でほぼ同じ景色を見ることはできる。

満男がバイクで走ったと思われるルート。(泉自宅→吉野ヶ里遺跡)

寅さんと一人の少年

吉野ヶ里遺跡を後にした満男と泉は、泉の母親の故郷、佐賀市富士町東畑瀬へと向かう。

現在富士町東畑瀬は、嘉瀬川ダム建設により湖の底に沈んでしまっており行くことはできない。

そんな富士町が寅さんのロケ地に選ばれたのは、

ある少年からの一枚のハガキからだった。


ハガキの送り主は嘉村範史さん。

彼は3歳の頃、事故で右手の指を失った。

そのハンデにもめげず、剣道に打ち込みスクスクと育っていった。

彼は寅さん宛に一通の手紙を書いたのだ。


僕は小学校6年生です。

僕には右手がありません。

でも剣道でがんばっています。

僕の町がもうすぐ湖にしずんでしまいます。

寅さん

その前に僕の町を見に来てください。

嘉村さんの住む佐賀県富士町はダム建設のため湖に沈む運命にあった。

返事の来るあてもない手紙に

その時の心境をぶつけた嘉村さん。


しかしその3ヶ月後、一枚のハガキが届いた。

差出人の名前を見て彼は目を丸くした。


おてがみ ありがとうね。

毎日げんきで べんきょうそて

かた手でも剣道しているリッパな

君をみならって ボクも べんきょうします。

ひとりでも多くのひとをたのしませたいとおもいます。

体を大切に  さようなら。


遠い旅の空から・・・ 

車寅次郎

それからしばらくしてこの町に思いもよらぬ事が起こった。

たくさんの撮影隊と共にあの寅さんが来てくれたのだ。


本物の寅さんに会った嘉村くんは大感激。

舞い上がってしまった彼が覚えていることは

頭を撫でられたことだけ。


「頑張れよ!」って・・・。

その一言に勇気づけられて。


嘉村さんの喜びはそれだけではなかった。

いつの日かダムの底に消えてしまう自分の思い出が銀幕の中に残るのだ。

畑瀬橋と豊冨宮

幼い日によく遊んだあの橋も

そして毘沙門堂のお庭も

自分の生まれ育ったあの懐かしい故郷が色褪せることなく

いつまでも映画の中で生き続けるのだ

東畑瀬の毘沙門堂

寅さんから届いたこの一枚のハガキから

全てが始まった。

この町で出会った寅さんと一人の青年。

彼の人生を変えた一枚のハガキは

大人になった今も引き出しの中に大切にしまってある。

寅さんが教えてくれた生きる優しさと共に。


引用:「あなたの知らない寅さんの秘密」より

ここは不明。情報求む!

ここは不明。情報求む!

満男の帰還

自分の家に帰ることを決めた満男。

途中のコンビニ(ローソン)で母、さくらへと電話をしたのだった。

これから東京に帰る。

そう、これから?

(電話口に一緒に来ていた博に向かって)

    (これから東京に向かうって。)

もしもし、いつ頃着くの?

どっかで一泊するから

明後日の昼過ぎかな・・・

うん、また近くなったら電話するよ。

無理しちゃダメよ。

気をつけてね。

何かあったら、すぐ電話するのよ。

お父さんに代わる?

そんなの必要ない。

そんな必要ない・・・

大丈夫、あんたから一言「ごめんなさい」って言えばいいの。

じゃあね、くれぐれも気をつけてね。

わかった?

うん、わかった。

じゃあ、おやすみなさい。

はい、おやすみなさい。

暗闇の中に消えていく満男なのであった。

満男が走ったと思われるルート。

一晩過ごし、明るくなってから出発すれば良いのに、こんな夜遅くの暗いうちに出発するところが

今回の満男の成長だったような気がする。

自分が思う事にとにかく次に向かって進んでいく若者の姿。

思っていても中々行動に移せなかった子供の満男から、自分の意思を持って行動に移していく青年へと確実に変化している満男。無鉄砲なところは若さあってのこと。

満男よ、君は今回の旅で多くの事を経験し、そして大きく成長したのだ。

エンディング(寅次郎のキセキ)

泉の学校へ行く寅さん。

佐賀県立小城高等学校

やはり歩いていったのだろうか。6kmくらいなら、寅さんは歩いたと思われる。

泉ちゃんは学校までバスか電車、もしくは自転車で通っていたと思われる。

満男との再会の時、自転車を押している友達と一緒に下校していた泉ちゃん。(この時は自転車ではなかった。)

ちなみに・・・

泉ちゃんの制服のエンジ色の大きなリボン。

実はこれ、撮影用に山田組が用意したものだったそうだ。当時の生徒が着用していたのは紺色で、撮影用に山田洋次監督が選んだものらしい。

数名の女子高生はエンジ色のリボンをつけているが、確かに紺色のリボンの子もいる。

映画の影響力は大きく、撮影後に実際のリボンもエンジ色に変わり、制服がリニューアルされたいまも受け継がれているそうだ。

佐賀県 小城(おぎ)駅

くるまやへの電話する寅次郎。

このシーンは「虹をつかむ男」で使われてましたね。

須賀神社

須賀神社   神門

おしまい。