徹●の部屋

2008/10/10

「徹●の部屋」  男はつらいよ

「徹●の部屋」-渥美さんを語る-


黒柳

寅さんという人も・・・あの~(笑)

ちょっと破壊的な人のように見えるけれども

やっぱりあれですね「労働者諸君!」何ちゃって・・・ウフフ(笑)


山田

ええ。寅さんは平和主義者であり、平等主義者であり・・・


黒柳

そうですよね。


山田

自由主義者であり


黒柳

そうー、そうでしたねー。

渥美さんが亡くなってから寅さんみたいなの作らないんですか?

っておっしゃる方随分多いそうですけど。


山田

うーーーん・・・でもあれは元々渥美さんという人がいて

それで考え出したキャラクターですからね

渥美さんがいなければできるわけ無いんですよ。


黒柳

そうですねー。

でも渥美さんが亡くなった頃よく

色んな渥美さんを形容するのに山田さんは

「渥美さんは詩人だった」

っておっしゃっていますよね。


山田

うん、うん。

まー、優れた人でしたね。


黒柳

ホントにねー。で、面白くて・・・


山田

ねー、今思えばねー・・・。


黒柳

ホント面白くてね~。


山田

賢くて!


黒柳

ホントにそうですよね。

で、セクシー・・・なところがあってね、

ダンディーなとこもあって・・・


山田

そう・・・


かっこよかったですよね


黒柳

そうですよね!腹巻して、あーゆの着て、

帽子被って下駄はいてんのに

かっこいいってのがね~、やっぱりね~。


山田

そうそう・・・足なんかホント実はきれーいなんですよ。

爪なんかきれーにマニキュアして


黒柳

あ、そぉーなんですか。(驚)


山田

足におしゃれをする人でしたね。

なぜかっていうといつも素足で映るから・・・

きれいにしなきゃいけない。


黒柳

あ、そぉーなんですか。

それはちょっと気がつきませんでしたけれど

でも綺麗な足はしてらしたように思いますよね・・・

で、初めの頃ですか映画館で、寅さんが色んなこと言うと学生が

「異議なーし」とかって言ったのはあれ寅さん(映画)ですか?


山田

ええ。70年代ですから、まだ学生運動が盛んな頃でしょ。

だから昼間デモした学生が夜映画館に来て・・・


黒柳

あ、昼間デモやった・・・うん、うん。


山田

そうそう・・・

それで、「よーし」とか「異議なーし」とか

不思議な光景でしたね


黒柳

画面に向かって・・・(笑)


山田

そうそう・・・(笑)


黒柳

だから渥美さんやっぱり映画館で観るの好きでしたよね。


山田

そうでしたね。


黒柳

うーん。


山田

よく変装して・・・かえって目立ったりなんかして。。。


黒柳

でもよく一緒に観に行ったんですけど(笑)

映画館の人よく笑ってましたけどね!

大体新宿なんかでよく観ましたけれど

2人で一緒に行くと何となくキップのとこの人が笑ってたりして・・・。


山田

あー。


黒柳

やっぱり渥美さん、皆がどうやって笑うのか、とかね。そういうの。

私なんかすっごく笑って「バッカですねー」って言いながらも

喜んで・・・くれていたりして。


山田

ああ・・・


黒柳

何か寂しいですよね、そういう映画がなくなったことまで・・・


山田

ちゃんとあの人キップ買うんですね、お金払って。


黒柳

そうなんです・・・ホント

私の分も買って下さってたんですけれども・・・。


「徹●の部屋」-山田監督を語る-

黒柳

まーそんなこともあったんですが、その後

「たそがれ清兵衛」がアカデミー賞の外国語部門にノミネートさるとか

「隠し剣 鬼の爪」がベルリン国際映画祭のコンペティション部門に

出品でジンバブエの国際映画祭で最優秀作品賞。


山田

そうそう、嬉しかったですよ。ジンバブエなんてねー、

遠い国でねー。

この後また大変なことが色々起きてねー、あの国はねー。


黒柳

えーそうです。

だけどそういうとこに映画祭があってねー、

やっぱりちゃんとしたあのー

そういう審査員がいるんだなーと思うとねー。


山田

ちょっと質素な感じのね、でもちゃんとトロフィー貰いましたよ。


黒柳

あ、そうでしたか。

それからまーその後、また「武士の一分」もお撮りになったん

ですけども。

でもそん時「武士の一分」ってみんなが騒いでいる時に、

もー吉永小百合さんのを進めていらしたんですか、あの時。


山田

うん。あのー原作に巡り合ったのが一昨年の夏でしたからね。

でー、「武士の一分」の準備してたんですけども・・・


黒柳

ええ。


山田

まーこれ映画にしたいなーと思いましてね。


黒柳

ええ。


山田

でー「武士の一分」の撮影前に、実は小百合さん・・・交渉して・・。


黒柳

あーそうなんですか。


山田

それで彼女の出演の快諾を得てから

よし、これこん次あるんだと思ってそれで「武士の一分」の撮影・・・


黒柳

あっ、そうだったんですか。

あのー吉永さんとは寅さんのマドンナ以来随分・・・30数年・・・


山田

そうでしたねー。


黒柳

あのー寅さんの吉永さんが出ていらっしゃる部分ちょっと使わせて

頂けるのでちょっと皆さん、ご覧下さい・・・。


山田

ああ、そうですかー。


黒柳

寅さんのマドンナです。



(映画のシーン始まる)

「男はつらいよ 恋やつれ」の最後

寅さんが歌子ちゃんの家を訪ね縁側で花火を見ながら会話するシーン。

「浴衣・・・きれいだね。」

「え?なあに?」

(映画終わる)


黒柳

こういうのはあれですかね48本お撮りになってもああいう瞬間の

こう雰囲気やなんかすっかり覚えていらっしゃるものでしょうか?


山田

いや、やっぱり・・・そんなに覚えていないですよね~。

でもあの浴衣きれいだったな、てことはあのよく覚えていますよ

素敵だなーってスタッフも皆うっとりしながら・・・ははは(笑)


黒柳

お綺麗ですものねー。でも本当にお変わりなく30年経っても

あのー母べえのお母さんは本当に綺麗なお母さんだったですけれど


山田

そお。


黒柳

やっぱり今若いなぁって思っちゃった・・・。(笑)


山田

まー、何たってねー、あのー、娘役でしたからこん時はねー。


黒柳

そうですねー。


山田

今はもうしっかりお母さん・・・


黒柳

でも話違うんですがあそこはあれですかねー、花火はーあれホ・・・


山田

あれ合成です!


黒柳

合成ですか?


山田

えー、もちろん合成です。えー。


黒柳

私なんかあーゆの見るとねー、もーホント素人みたいですけどねー。

「へースゴイ。花火あそこから見えんだー」とか・・・


山田

ハッツハッツハッツハー。(笑)


黒柳

ホッホッホッと思って観ちゃうんですけれど

あー合成だったんですか・・・なるほどね~。あー、そうですか~。


黒柳

まー、そういう寅さんもお作りになっていらっしゃるんですけれども


山田

うん。


黒柳

でもあのー、時代劇をいきなりお撮りになってね

皆びっくりしたんですけど

時代劇はどれも評判が良くてさっき申し上げたように賞取ったり

あのそれだけでなしに大入りだったり

それから色んな俳優さんお出でになったりと

あれは3本ですねーお撮りになったの・・・良かったですね~。


山田

そうですね、藤沢周平さんの原作でねー全部。

まー前々から撮りたいと思っていた・・・

藤沢さんの作品が好きですからね。


黒柳

でも時代劇・・・はそんなに撮っていらっしゃらないと皆思うので

びっくりして


山田

やっぱり時代劇撮りたいって気持ちは漠然とあるわけですよ。


黒柳

ええ。


山田

それとまーなんていうのかなー、従来の時代劇ってのはどうしても

ちょっと嘘っぽいところが・・・良く無いなぁーって思ったりして。ねー。


黒柳

ウフフフフ(笑)


山田

もうちょっとこう刀なんて怖いもんじゃないかなーって

そういうこと色々思ってたもんですから。


黒柳

でもあれですねーお父様という方は、あのもちろん中国東北部から

引き上げていらしたお話は伺っているんだけど、

何かあの人生は楽しむべきものがあるとか

何かそんなことは全く考えていらっしゃらないような方だった

というのは本当なんですか。


山田

うーーん・・・まー、僕の親父の世代・・・

まー、僕の親父は特別かもしれませんけども

九州のねー、田舎で育ったあのー男でしたからねー。

あのー、いつも難しい顔していましたよねー。


黒柳

ムフフフ(笑)


山田

楽しむっていう発想はあまり僕の親父には無かったかも

しれませんねー。

お爺さんは更にそうでしたからねー。


黒柳

あー・・・


山田

だから九州の小藩のお侍ってのはそういうふうに・・・   

なんてのかなぁー

こう・・・自分を堪えて堪えて一生生きていたんだろうなー、みたいな

思いで時代劇作りましたねー。


黒柳

あーじゃあお父様もその中にちょっと・・・


山田

そうですねー。


黒柳

でもあれですねお育ちになったのは大阪なんですね。


山田

うん、まーあの、サラリーマンでしたから親父はね。

ですから・・・


黒柳

あ、そうか・・・異動?


山田

そうですね転勤ばかり。


黒柳

あ、転勤、ええ。


山田

それが満州に行くことになるわけですけども。


黒柳

お母様はどういう方だったんですか?


山田

母親はあのー、名古屋の人間で、これも生まれたのが中国なん・・・

旅順なんですよ。ですからずーと向こう育ちの・・・

まー、二世みたいなもんですねー。


黒柳

ええ。


山田

だからー、あの親父もやがて満鉄で満州に行くようになる。

だから両親とも・・・親父も小さいはまー中国なんですよ。

だからホントに植民地育ちの両親と言っていいんじゃないかなぁー。


黒柳

まー当時は大陸・・・


山田

そうですね。


黒柳

・・・なんて言ってましたね。


山田

そうですね、大陸って言いましたね。


黒柳

私どうして大陸って覚えているかって言うと

あのー小学生の時に俳句を作って学校で俳句を奨励していて・・・


山田

はーはーは


黒柳

最初に作った、生まれて初めて作ったあのー、俳句が

「のらくろは 兵隊辞めて 大陸へ行く」っていうのだったんですね。

でー、それを小沢昭一さんや山藤さんが「季語が無い」って

すごく言われて

私犬って、あのー(のらくろを)猫だと思っていたんでね。

「季語あるじゃない!」って言ったら

「(のらくろは)あれは犬だ!」って言われて。(笑)


山田

そうか・・・そうか。(笑)


黒柳

何だか。。。


山田

犬は季語じゃないんですね。


黒柳

そうなんです。猫はいいけど犬はあれだ・・・そんな事まー言われ

でもそれでも大陸って当時言ってたんだな。

子供までね大陸行くっていうふうにわりと皆簡単に夏休みにちょっと

行くって言う・・・ねー。

山田

そうそうあのー、一応独立国家なんですよ満州ってのは。

日本人はビザもパスポートも要らないんですよね。


黒柳

だから千尋さんもねー直ぐすっとあのー・・・。


山田

ただまるで自分の国みたいに思っていたんじゃないですかねー。

当時の日本人はねー。満州のことをねー。考えたらひどい話ですよね。


黒柳

ホントにそうですよね。でもそういう風にそんな感じでお父さんも

いらして、お母さんもそこでお育ちになった方がまー大陸育ちって

いうご両親だったんですよね。


山田

そうなんです、そうなんです。


黒柳

なんか随分、あの小さい時は日本てどういう日本の海辺とか

どういうのかなって想像なさったっておっしゃってましたけど。


山田

絵本なんかで浦島太郎みたいな絵本見ると海が綺麗で

山があって川が流れてそれからあの鉄橋があって

汽車がこうトンネルを・・・

そんなもの満州では考えられないんですよ、

そんなトンネルなんてものは。


黒柳

あー、そうですか。


山田

要するに鉄道って言うものはひたすら平野をドォーって走って

いくわけですから

なんで山があってそこに穴あけなければいけない・・・

ところが日本ってホントにそういう国なんだーってことをねー、

だんだんこう・・・色んな人にこう話し聞いてその通りだよって。

ホントに海がきれいで・・・


黒柳

海もない、ねー、あそこにいらっしゃったらないですからね・・・


山田

白い波が打ち寄せてね青い松原があってね・・・

白砂って言って瀬戸内海は

白ーい砂がね、それは綺麗なんだぜ!って

親戚のお兄さんが僕に話してくれたことありましたね。えー。

だから、あー、それが日本なのかと。そんな風に思ってたもんです。


黒柳

だから寅さんの中には必ず風景のいいところがありましたよね。


山田

だからまー、子供の頃からの憧れかも知れませんよね。

日本の故郷へのね!


黒柳

そうですね~。


黒柳

ちょっとコマーシャル・・・。