20260322
言の葉の会議室。
今日も早起き。本棚が届いたから部屋の掃除を少しして本を入れていく。入るのは文庫だけ。文庫がちょうどのサイズ。新書は入らない。ハヤカワ文庫は入る。素敵やん。大切にしよう。死ぬまで。
4日ぶりにバイト。たくさん本が入っていた。社員Aと会議室でミーティング。来季に向けて担当している売り場をどんな感じにしていくか、という議題だけれどほとんど雑談。笑いながら。相変わらず私に出されるサインは「自由にやって。好きにやって。」だ。にっこり「はい。」と答える。前例に囚われず、網羅性も特に気にせず、とにかく面白い売り場。大学生なんてやってる暇ないですよ。もう四月か。大学ってどんなんだったっけ?もしかして忙しかったりする?明日はバイトはない。が、バイト先に行く。同僚の大学生が明日で最後。だから別の同僚とバイト先に行ってご挨拶。ナンダカンダ仲良しですね。
中高時代の友人Tが最近noteに書いている文章が良すぎて震えている。本当にTがこれを書いているんだよね?多分T。逆にいいねを押せない。本当にいいものには近づけない。刺激したくない。このまま気ままに文章を書いてほしい。
糸井重里がXで「言語化」についてポストしていた。昨今、流行している言語化や言語学、批評など。稀代のコピーライターだった糸井重里のことばの在り方への言及にはいいねも多かった。
https://x.com/itoi_shigesato/status/2035051915462287655?s=20
言語化能力が重要視というか崇め奉られるようになったのはなんでなんだろう。この時代において、“それらしい”からかもしれない。理解るか理解らない、であれば理解ることが正義とされやすい。「え〜と、その、なんと言うか、、わかるでしょ?なんとなく」というよりも「つまりそれは〇〇性の構造が応用できて、現代の人々の△△への帰属意識が云々」の方が正義なのだ。でも必ずしも言語化できている方が本当の意味で“よい”のかはわからない。ある意味テキトーな言葉が正義なこともあるし、なにも言わないことが正義なこともある。私はそんな感じでぼちぼち言葉とやっていきまーす。