20260228
戦争とヤンニョムチキン。
色々と夢を見て目が覚めて、もう昼過ぎかなぁと思ったらまだ午前9時半だった。ベッドから出る理由もなく、再び目を瞑り気づけば午後5時。よく寝た!という感じでもなくダルっぽく起き上がる。日は傾いている。身体は微かに油ぎっている。
ぐしゃぐしゃの髪の毛でスーパーに行って、今日を生き抜くための食べ物や飲み物を買う。レジ前で温かいカフェラテを手に取って、それを飲みながら帰る。98円の幸福を体一杯に感じながら。家に帰ってきて冷蔵庫にものを入れるなどしていたら、買ってきた惣菜のヤンニョムチキンを落とした。私の晩御飯候補は床の上で赤いソースを滲ませていた。どうしてこうも。悲しい。何よりも。夕方まで寝ていたのが悪いのか。それともまだLINEのアイコンを変えていないことが原因か。
実家から取ってきた魚喃キリコの『南瓜とマヨネーズ』(祥伝社)を読む。2004年、私が生まれるよりも前に刷られたそれを開く。よかった。前もそんなことを考えたことがあった気がする、と思ったら金原ひとみの『ミーツ・ザ・ワールド』を読んだ時だった。自分にとって大切なその人のために勝手に自分が尽くすというか空回りするというか。歯車が噛み合っていないことに気づいた時に人はただ立ち尽くすしかなくて、でもそんな経験とか誰かとの時間は意味深いものだから、人に触れ人々に触れカルチャーに触れながら生きていくことは大事なことなのだな、と思う。生まれたばかりの頃のように外界にもっと目を向けて。
目を向けてみれば、世界情勢は色々と大変そうだ。街に爆弾が降っている。私はカフェラテを飲みながら本を読んでいる。理路整然と世界はその事実たちを描画する。とどのつまり、この世は自分以外全て対岸に存在している。私がよければそれでいい。対岸で泣いているその人に手を差し出したければ差し出して、面倒臭いなら別に。対岸で人々が泣いている。死んでいる。しかし、私が腕をどれだけ目一杯伸ばそうとも、どうにもならない。だから今日も私は遠い国で誰かが殺されていることよりも、ヤンニョムチキンを床に落としたことを悲しんでいるのだ。この世には決まった意味や価値などなく、勝手に作り出して勝手に満足したり嘆いたりすればよい。そうするしかない。両手に恐竜のフィギュアを持って戦わせて楽しんでいる、あの頃の延長線上でそれと似たようなことをしながら生きてそして死ぬだけなのだ。