20260315

冷静と焦燥


冷静と焦燥というのは一見、対をなすものだが、実際はそうではないこともある。冷静と焦燥が一緒になってやってくることがあるのだ。

私の周りには、残念で大変お恥ずかしながら、人がいない。これは一重に私によるものであり、あたかも自分はそれを望んでいるのだというような調子でこの為体なわけなのですが。大学に友人や仲間はおらず、かといって大学の外で同志を見つけるというわけでもない。だから何事も一人で為さねばならんのです。今朝は早くからカメラと三脚を持って家を出たわけですが、結局うまくいかずに帰ってきました。もう一人仲間がいたら成功していたか、と問われれば微妙ではありますが、一人に比べれば可能性はもう少しあったでしょうし、これほどには焦燥感を抱かずに済んだでしょう。そうなのです。冷静になってみれば私には仲間がおらず、そうしてジュンとした焦りに犯されているわけです。まだ大丈夫、と落ち着かせようとはしてみますが、昇る日の速さは私を急かすわけです。過ぎ去っていく原付は耳障りなエンジンが震える音と法律を破る音とを発しながらただ私を焦らせるのです。何もかもが私を焦らせては去っていく。一分間に百八十回ほどのペース。たまらんのです。もっとゆっくりした世界はないとですか。こんなんじゃ博多弁のひとつやふたつ出てきますよ。スーツケースを持ってバス停に座っていた老夫婦よ教えてくれ。私はどうすればいい。先生、と呼んでやるから教えてください。ハーバーマスさんでもいいから教えて。

焦燥を帯びつつも陽気な私を掠めていく乾いた風。同僚の一人は休みたり。日曜日の人々は穏やかに笑ったり少々キツく刺々しかったり。社員Aにアイデアをプレゼンし、発射許可を得る。あとは私が機体を組み立てボタンを押すだけ。

小学校時代の同級生はHIP HOPに傾倒し、中高時代の友人たちは相も変わらない様子。音痴なあいつの歌声。二浪していた彼の表情。ただそれぞれがそれぞれの座標で生きているだけ。繋がってなんかない。ビー玉が散らばって転がるように。冷静な焦燥にミシミシと音を立てる私というビー玉。カランコロンと、また明日に転がっていく私というビー玉。