20260208
積もる。
まだ7時30分。よし逃げよう。真っ白な地面にはいつもより私の足跡がくっきりと残る。いつもは振り返っても見えないそれが今日はリズムよく右足左足そしてまた右足。乗り込んだバス、窓は曇ってドアが開いて冷たい空気が皆の足を薙ぎ払っていく。いつもは残らない白っぽい轍、大きくカーブを描く。
電車に乗って、乗り換えて、、としていたらやっぱり雪に慣れない関東はふわふわしていて、電車も遅れている。一緒に行く友人からLINEがきて、やっぱりディズニーはやめようか、と。そうして東京。雪の降る東京。あの汚さは雪に隠されている。2週間ほど前にも同じ奴らに東京で会った。怪しいビルに入ってみたり池袋のラウンドワンでカラオケやボウリングをしたりした。
友人が好きなTeleの『金星』という曲を歌ってやったら嬉しそうだった。何度MVを観たことか。女の人の腕を引っ張って走っている人がそのTeleさんですか?Apple music のプレイリストにも入れた。聴きたい曲がない時に流した。「若輩」というプレイリストに入っているそれを。新しいものを素直に受け付けることが容易ではなくなってしまった感があり、友人が好きだからカラオケで歌ってやったら面白いかな、という決して正しくない向き合い方で知らなかったアーティストや曲と出会っている。
久しぶりにボウリングをした。2年近くぶり。プレイヤー名でふざける。上から「〇〇(浪人中の友人の名前)」、「大学」、「合格」にしてみたり。プレイヤー名でふざけるのをもうやめにしたいけれど、やめ時がない。誰かに禁止されたい。ボウリングというのはボールに指を突っ込んで投げる・転がす・倒す・指を謎の風で乾かす。私は手の爪を深爪近くまで切るのが嫌いで、いつも白いところを数mmは残している。だからボウリングをする時はいつも親指の爪の右側がすり減ったり割れたりする。そこが私のボウリングHPなのだ。
1ゲーム目はひどいもんで投げても投げても球は左に寄った。2ゲーム目から感覚を取り戻した。3ゲーム目からHPが危なくなり、4ゲーム目の頃には少しめくれた爪を気にしながら10ポンド。楽しいな、ボウリング。そりゃあ流行るわ。とボウリング世代を想う。桑田佳祐の「ボウリング場でカッコつけて」の写真を思い出した。
ジュンク堂に寄る。池袋といえばね。気になっていた『粉瘤息子都落ち択』(集英社)を買う。金原ひとみのインスタに出ていた。本屋を出て、ジュンク堂の袋を嬉しそうに持っていた私を見て友人が、「よく本を買ってるけど、読んでるの?」と聞いてくる。たしかに本を買うことは多いし、帰省をした時などは行く場所が本屋ぐらいしかなく、お土産は大して買っていないのに本で重くなったスーツケースを引きずって戻ってきたりする。自分でも「買っているな」と思う。読んでいる以上に買っている気がする。ただ、「積読」として保管されている本がたくさんある、という感じもしない。小説は基本ちゃんと読む。エッセイも読む。この購買と読書のアンバランスを生み出しているのはおそらく雑誌だ。個人的に雑誌は読み物ではなく捲り物。パラパラとするものなのだ。あとは、芸術書や人文書っぽい難しい本は途中まで読んで休憩させているものがいくつかある。読みやすいものから読むよねそりゃあ。で、購買は止まらないからね。「積読」なんて肯定的な表現には見合わない状態で本棚に刺さっていたりベッドの枕の横に置かれていたりするのだ。今、枕の横には読みかけの『デザインにできないこと』(BNN)が置かれている。今はまだそれを読む時じゃない、ということで置かれている。その上には読み終わった阿部和重の文庫本がある。それは直せ。
夜9時前には家に戻った。ディズニーへの逃避は中止となったが、池袋のラウンドワンが代わりに私を受け止めてくれた。どうやらディズニーは珍しい雪に逆に盛り上がっていたみたいだ。行ってたらきっと足が棒に目がテンに。そんな所で今日の日記はおしまい。