2019/11/24 稲田の磯蔵酒造
SakaGrapher Nobusan
"ISOKURA-Shuzo Corporation" Japanese sake brewery, NIHON-SYU, OSAKE, Rice wine
昭和の残り香 信沢あつし
Smell of oldies. A.Nobusan
"ISOKURA-Shuzo Corporation" Japanese sake brewery, NIHON-SYU, OSAKE, Rice wine
昭和の残り香 信沢あつし
Smell of oldies. A.Nobusan
石の百年館に行くときに、酒造らしい建物を見て、百年館で「磯蔵酒造」であると知る。線路の向うであるから、踏切まで歩き国道50号側を見る。なかなか良い雰囲気の道であるが、ここと石材軌道は関係なさそうだ。
雨はずいぶんと小雨になって来たが、長雨で踏切入口は大きな水溜まりだ。バランスをとって道路の端を歩く。
踏切の先は酒造であるが、その向かいの家なども良い雰囲気である。
踏切を渡ると「本戸街道」とあった。水戸街道かと思ったが「本戸(もとど)」であった。やはり、この道は歴史ある街道なのであろう。
踏切を渡って目に留まるのは、この大きな古い家である。何か商店でもやっていたのだろう。
磯蔵酒造の手間には、線路方向へ斜めに通じる道。道沿いに蔵が延びているのが良い雰囲気である。
ちょっと鉄道の臭いを感じさせる。
そして磯蔵酒造である。門の「磯蔵酒造」の文字が、ちょいとモダンである。板塀には丸い窓が開き、以前はライトアップもされていたようだ。
酒造に入ろうとしたところで踏切が鳴ったために、振り返って写真を撮る。
日曜日であったが、営業をしていてくれた。ご主人は私ぐらいか、少し上か。そんな時代になったのだと感じる。
私から勝手に日本酒のリクエストをすると、丁寧に分かりやすい説明をしてくれた。近年は大手の酒造の真似をした味、説明が多いが、なかなか日本酒を分かっている感じである。
先ずは、地酒である昔ながらの定番の酒「稲里」の一升瓶を選ぶ。精米が75%というのも魅力的だ。そして、精米歩合70%の純米酒の4合瓶を買う。
ちなみに私の中での「地酒」というのは、昔から地元で飲まれている酒のこと。いわゆる二級酒だったりする。安いお酒だが、地元で永年飲まれているだけに、意外と美味しいものだったりするのだ。
「昔はお米を扱っていて、鉄道で出荷していた」という名残だろう。最初に見た、線路に斜めに続く道の蔵は米蔵だった。米蔵には出荷のための扉も付いていたのではないかと思ったが、米蔵の先の石蔵のところに立派な門があった。細長い蔵の中を運び、ここから出荷して貨車に積み込んだのだろう。
さすがに稲田石の町である。酒蔵は石造りの蔵である。広い敷地に、歴史を感じさせる蔵が並ぶ。
酒蔵が終わった先は、石材店のようだ。気になったのは、この水たまりが直線に切られているところである。石を運ぶためのトロッコの線路を剥がした跡ではないかと想像してしまった。
雨が上がったこともあり、一升瓶と4合瓶を持ったまま、酒蔵の裏まで歩いてしまい、足はそのまま一回りをしようとしている。
ちょうど磯蔵酒造の裏側当たりの向うは山で、紅葉が美しい。
この道に宅配トラックが頭から入り、バックをしてこの先の道を上がって行った。「もしかして、行き止まりか」と話していると、頭から戻って来た。
行き止まりかもしれないが、そのまま歩く。酒蔵の隣の空き地は、ひっつき虫、センダングサだらけ。酒蔵の瓦屋根を背景にして茂る様は、ある面美しかった。
見た目にも行き止まりに見えた道はクランク状に曲がり、広い通りが見え、そこを先ほどの宅配便のトラックが横切って行った。
道に出たところは食堂。ただやっていない。日曜日だからか、ずっとやっていないのか。
一回りして、元の通りに出て駅を目指す。
この「イソクラ」というのは商店か。きっと米も扱っていたし、酒も扱っていたであろう。この地域のスーパー的な店だったのかもと想像した。
入口は、ちょいと面白い感じであり、蔵は石造り。なかなか見かけない酒蔵を楽しめた。
踏切が近づくと水戸線の電車がやって来た。
この写真の右手部分にも側線が広がり、ここで貨車に米を積み込んでいたという。並びには石材店もあったから、この先の方では、石材の積込みもしていたであろう。今は良くある田舎の駅という感じであるが、歩いてみると、歴史を感じられる稲田駅なのだった。