2019/11/06 龍海院まで

昭和の残り香 信沢あつし

Smell of oldies. A.Nobusan

あまりにも天気が良く、また眼の調子も良くなってきたため、リハビリ的に日々歩きたいと思うのである。

太陽光を浴びた方が、眼に良いという話を聞いたこともある。

午後1時半過ぎに家を出る。表は眩しいほどの良い天気。少々色のついた保護メガネを着用してである。大泉寺は道路拡幅で新しい建物となったが、古い建物も残している。私が小さい頃、きっと昭和30年代は、この建物の東側にお寺らしくない木造の大きな平屋があり、そこが本堂となっていた。恐らくに空襲で焼け、仮の本堂だったのではないかと思う。

県道の玉村線は、今なんというのか知らないが、ここで暮らしている分には、玉村県道のままである。ただし、道路拡幅で横断歩道が減り、フジ模型の先にの角に信号機が付き「ここを渡しりなさい」と言っているようだ。

井口酒店さんだった角を入り、龍海院方向へ。その並びには、木造の建物が健在。なかなか良い造りである。

少し行くと小さな川。風呂川があるが、なぜか流れがなく、川底に水溜まりのように薄っすらと水があるだけだった。向こうの通りは、前橋祭りの時に、良く休憩した場所だと思う。

高橋商店の角に出る。今は駐車場になってしまい、元高橋商店の跡地である。斜向かいの角も駐車場。ただ、その隣の商店の建物はある。ここから国道17号方面に商店が並んでいたと思うのだが。

ここから龍海院の参道という感じになり、その昔は、両脇に何か建っていたかも知れないと思うのだが、鮮明な記憶はない。

参道を歩き出し、一本目の角を覗くと、柿がなり、緑が茂り、その奥に古そうな木造二階屋が見えた。ただ、通り沿いは空き地であり、以前は何か建物があったに違いない。

龍海院入口に行くと、左右に石灯籠があり、その時に、2体の仁王様だろうか、大きな石造りである。何気に入ってみて「はて、その昔は、ここにこんなものがあっただろうか」と思う。ここにも山門はなかったか?

入って行くと、大きな切り株が左右に点々と並ぶ。昔は並木だったことを思い出す。そして、砂利が敷き詰められた道で、子供たちが遊んでいた。今は、駐車場か。遊ぶ子供もいないから、大きな問題はない。

次の路地を覗くと、木造の平屋が並ぶ。廃屋という感じではなく、生活感があり、少しうれしい。

龍海院の山門は入らず、右に行く。南天の実が随分とついて冬の近付きを感じさせる。

道端を見れば、小さな黄色い花が咲き誇る。小さいが、この時期に咲くのであるから「菊だろう」と思う。

通りに出れば、角を左に折れて、昔の第四保育所の方へと向かう。約1年、第四保育所に通っていたから、やはり懐かしい方へ足が向く。

ここまで来たら、龍海院の向こうまで行って、ぐるりと一回りだ。