夏休みの宿題にホームページを作る

Make a home page for summer vacation homework.

昭和の残り香 信沢あつし

2022/09/14 Smell of oldies. A.Nobusan

長男は小学校4年生の時に「夏休みの宿題 Volkswagenについて」という自由研究をしたのだが、1997年8月だから中学2年の夏休みだと思うが、小4時の自由研究でホームページを作成した。

1997年だからWindows 95の時代。インターネットが標準で使えるようになり、ホームページを見たり、メールが自由にできるようになった時期。写真をスキャンしてトリミングをし、必要な図はペイントで描いて小4の時の宿題をウェブにアップした。

中学生であるから、それなりに知識もあり、ホームページの「HTML」をお父さんが教えてあげ、彼がコーディングしてホームページにしていった。

次男は1999年8月、小学校6年の夏休みの宿題で「信沢 保の PORSCHE のホームページ」を作成した。

次男は幼い時からポルシェが好きで、トミカサイズの安いミニカーをコレクションしていたのだが、そのミニカーの写真で構成した。

写真は一眼レフのフィルムカメラで彼が撮影し、私がフィルムスキャナーでスキャンしてあげた。

ポルシェの年式、タイプ別などに分類して、写真はミニカーであるが、実写の解説文が付き、ミニカーのメーカー名などはアルファベットで記載した。

当時はまだインターネットが使える人は少なく、海外の人にも見てもらおうと、ポルシェのタイプ、名称はアルファベットで全て表記した。長い解説文は日本語だが、次男が全て調べて分賞を書き、私が添削をした。

HTMLを全て記述するのは小学校6年生には難しく、私が一通りのパターンを作成し、彼はそれをコピーして、中身を修正する形で各ページを作っていった。

学校へ彼は3.5インチのフロッピーディスクを持って行った。「印刷した紙はいらないのか」と聞いたが「いらない」と持って行った。夏休みの宿題をフロッピーディスクで納品(!?)するというのも画期的ではある。体育館の夏休みの宿題展に3.5インチのフロッピーディスクが1枚、ポンと置かれているのを想像したが、やはり先生にプリントアウトを持ってくるように言われてしまったらしい。(笑)

夏休みの宿題で作成した後も、彼は新しいミニカーを入手すれば、ページを追加していった。

タイプや名称、ミニカーメーカーなどをアルファベットにしたために、海外からメールが届いた。

実車のポルシェマニアもいれば、ミニカーのマニアもいた。

海外から見ている人は、これを小学生が作ったとは思っていないから、かなりマニアックなメールも届いた。最初はお父さんと一緒に翻訳し、一緒に返信の英文を考えた。

中学生になると、彼は自分で英文を読み、返信を書き、何人かの知り合いが出来たようである。

メールをやり取りし、日本でしか買えない手持ちのミニカーや、新しいミニカーを買い、海外の人とトレードも始めていた。

高校生ぐらいになると、日本人の知り合いも増え、国内、海外を問わず情報交換をし、ミニカーのトレードはピークになった。

いつの間にか1970年代のお父さんも見たこともないようなミニカーを入手していたりしていた。1960、1970年代は日本で普通には買えないミニカーも多かったから、お父さんが憧れていたミニカーも増えていった。とはいえ彼のコレクションであるが。

長男は中学になってパソコンを与え、ホームページを作ると、プログラミングにも興味を持ち、Linuxの開発などにも首を突っ込んでいったようだが、次男はホームページ作りにはまったようだ。コンテンツを作るのが楽しかったようだ。

長男は高校を卒業すると、私のプログラム開発の仕事も手伝えるようになっていた。仕事もソフト開発方面かと思っていたのだが、雑誌編集の世界に入って行った。

次男は家でプログラムを組んでいる気配はなかったが、大学を卒業するとソフトハウスに就職し、プログラムも組んでいるようだ。

中学、高校時代、長男はプログラミングにはまり、次男は写真を撮ったり原稿を書いたりのコンテンツ作りにはまっていたが、社会人になると、やることが逆になった感じである。まあ、自分で選んだ道であるから、なんでも良いのであるが。

小学生時代の夏休みにお父さんと一緒にゲームソフトを作り、小中学時代にホームページを作り。二人とも自然とソフト開発、プログラミングの道に入って行ったのに役立ったのだろう。

子供の頃から、ホームページ作り、プログラム作りに関わるだけでも、将来に役立つと思うのであった。

子供は自分が面白いと思えば、どんどん自分で勉強して吸収していきます。私は、そんなきっかけを作ってあげたいと常々思っています。うちの子供たちは、こんなことでコンピュータに、プログラミングに興味を持ち、長男は20歳ぐらいのときには優秀なプログラマーになっていました。次男は大学を卒業するとソフトハウスに勤めました。

パソコンは出来合いのソフトを使うだけではありません。やりたいこと、作りたいものがあけば、自分でソフトを作れば、永く遊べる玩具になり、それは将来に役立ちます。その子供の将来だけではなく、日本の将来に役立つと思っています。

今の時代、ゼロからプログラムを作れる人はとても少ないのです。だから日本はIT分野で遅れているのです。コンピュータの基本を知って、アイデアを具体的なプログラム、システムにできる人が必要なのです。

私は20歳ぐらいからプログラミングをしてきました。ソフトウエアシステムの設計、開発をしてきました。でも私も始まりはゲーム作りでした。ゲームのプログラムを作ったら、自分の事務処理用のプログラムも作れるようになりました。

お子さんがソフト開発、プログラミングに興味を持っているようでしたら、ご相談ください。家庭教師として覗って、遊びながら、プログラミングを教えます。

BUG-ON バグオン信沢あつし
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