日本の夜明けは遠いのかな?
Isn't the dawn of Japan far away?
昭和の残り香 信沢あつし
2021/11/29 Smell of oldies. A.Nobusan
昭和の残り香 信沢あつし
2021/11/29 Smell of oldies. A.Nobusan
昨晩は珍しく9時からのNHK BSの韓ドラの時代劇を観ていたら、眠くなって寝てしまった。なので朝4時過ぎに目が覚めた。テレビを点けるとNHK BSの"MUST BE UKTV"をやっていた。それが終わると近所のコンビニまで。
玄関を出ると東の空に三日月が出ていた。「下弦の月かな~」と思う。朝5時過ぎだが、まだまだ暗い。日本は暗い…。
帰ってきてテレビを点けるとニュースで「人材の育成に投資しなければいけない」などと言っていた。
写真は2021年11月29日の朝5時過ぎの群馬県前橋市街地。
冬の日の夜明けは遠い。そして、日本の夜明けは遠い。まだまだ温かな春はやって来ない。もしかすると何十年もやって来ないかもしれない。
今、日本は後進国に向かっているようだ。人材がいない、人材に投資してこなかったという「つけ」が回ってきたなどと言われているから、何十年も前からのことなのであろう。
今から人材を育成しても、早くても20年、30年はかかるだろうし、人材のいない国で誰が教育をするというのだろうか。
考えてみれば、戦後の日本はどん底でみんな頑張ったと思う。そして素晴らしい経営者も生まれた。でも、結局は後進国で1ドル360円の円安が昭和40年頃からの高度成長期の全てだったかとも思う。
先進国の物を真似て作れば全てが売れた。戦後、まともな教育を受けていなくても、なにも考えなくても作れば何でも売れた。それまでよりも儲かって、毎年給料を上げても利益は余って、経費で飲み食いをした。
お蔭で1973年には円の為替も自由化された。そこが節目だったか。オイルショックもあり、日本の経済状況は変わったのだろ。でも、それに多くの大人は気付かなかったのだと思う。
私は昭和34年2月生まれ。高校を卒業して就職した時に、私と同い年までの中卒で就職していた人が数人いた。私の同級生でも中学を卒業して就職をした人が何人かいた。ところが高校を卒業するころになると、大学進学が当たり前のような時代になっていた。「あなたはあと4年間遊びなさい」と親に言われて大学進学をした友人もいた。この時点で既に、日本国には人材育成の体制はなかったのだと思う。
私が就職をした昭和52年以降も、日本はまだ成長が続いていると思っていたから、株価は急激に上がり、バブルに突入した。実際の成長はないものの、世の中の人は成長しているという妄想の元、経済は膨らんだのだと思う。
商業高校を出て、就職すると何冊かの経営、経済の本を読んだ。PFドラッガーの本を読んだ時、そこに書いてある方程式は過去のものになったことを学んだ。
アルビン・トフラーが「不確実性の時代」、そして「第三の波」と書いた時に、世の中は変わって行っている、経済は変わって行っている、経営も変化し続けなくてはいけないことを知る。でも、日本は変わらなかった。自民党政権の考え方が今も変わらっていないように。
就職した会社で、私は経営陣からの評価が高かったから、現場から経理部へ、そしてコンピュータ部署への異動が早かった。しかし、少しずつ経営陣が入れ替わっていくと、会社自体がおかしな、つまらないものになって行った。いわゆるサラリーマン経営者になって行き、それは経営ではなくなっていた。
就職して約10年。平成を目前にした昭和62年に、会社の中でやりたいことが出来なくなって退職した。退職して丁度半年後、外注だったソフトハウスに仕事をもらいにいくと「丁度良いところに来た」とすぐに仕事をもらえた。
そのソフトハウスで知ったことは、コンピュータのソフトウエアの設計、製造ができる人は1人しかいなかったということ。100人規模の会社だったが、ほぼ全ての写真は「SE」という肩書を持ちながら、デタラメな設計をして、デタラメなプログラミングをしていて、その1人が全ての尻拭いをしていた。それでもバブルで景気が良かったし、コンピュータシステムを導入するという行為が良いという会社が多く、合理化に貢献できなくても投資してくれた。
いわゆる「動かないコンピュータ」だ。
まあ、そんなものも含めたバブルは1990年頃に昭和の終わりとともに崩壊した。そこまでは漠然とではあるがお金を投資する行為が良しとされ、成長はしなくても経済を支えてくれていたのだと思う。
人材だけではなくく、新しいものを生産することもせず、生産性も考えて来なかった日本は、今も何をして良いのか分からないまま、経費を切って、経費を抑えることで、会社を維持しているように思う。
日本の夜はまだまだ明けない、とても遠い先のことなのだろう。