2021年角の焼きそば屋解体

The old dining room on the corner was demolished.

昭和の残り香 信沢あつし

2021/10/18 Smell of oldies. A.Nobusan

本町一丁目のゑびす通り、清香園の斜向かいの角に焼きそば屋があった。近所のおばあさんたちの話しでは「関口の焼きそば屋」である。

写真は2021年3月5日の夕刻。

閉店して随分と経つ。20年、30年と経ったであろうか。でも、近年は人は住んでいないようだが、割れたガラス窓が継ぎあてされたりしていて、誰かが時折来ていた。

写真は2021年4月2日。

焼きそば屋は、夏はカキ氷もやっていた。角の北側には「おかめ蕎麦」があった。我が家からととても近い食堂だったからか、このあたりで食事をしたことはない。子供の頃に「もう、うちだから帰ってから食べよう」と何度か言われた記憶がある。

写真は2021年6月4日。

この関口の焼きそば屋に寄ったのは、床屋の帰りである。小さい頃、散髪が終わると、床屋のおばさんがグリコのキャラメルをくれた。小学生時代である。ある時から「20円」をくれるようになった。「今はグリコじゃつまらないものね」とおばさんが言っていた。

写真は2021年6月11日。関口の焼きそば屋は解体され姿を消していた。

その20円を持って帰り道で寄ったのが、関口の焼きそば屋だった。ちょうどその頃から店頭にアイスクリームのショーケースを置いて売っていた。当時買ったのは20円の「マッハGo Go Go」の「クリ坊」のアイスだった。周りが茶色くて、中が黄色い栗の味がするアイスだった。まさかクリ坊だから栗の味という単純な理由ではなかろうとなどとも考えたりしたが、まあ、そんなことだったのだろう。そして、クリ坊だから買っていたのではなく、他では買えない栗の味のアイスだったから買っていたのであった。

写真は2021年6月16日。

そんなちょっとした思い出もあった関口の焼きそば屋であったが、今年の6月11日に通ると解体されてしまっていた。ここは3軒の昭和な元商店が並んでいて好きなところだった。南の信号を渡った先の一つ目の角からが「ゑびす通り」で、明治時代の地図でも、その角から道が始まり、家々が並んでいるから、当時からの商店街だったのであろう。信号で交差している道は終戦直後の区画整理で出来た道であるから、これらの店も戦後の物だろうが、歴史あるゑびす通りにふさわしい佇まいだ。

前橋市街は空襲でほとんどが焼けてしまい戦後に作られた町であるが、戦後間もない頃の、私の子供の景色が消えて行くのは寂しいものである。

写真は2021年7月19日。関口の焼きそば屋跡地は駐車場となった。