2023年のトロッコを振り返る 7
四国へ。帰りの寄り道
A visit to a small narrow gauge railway in Japan, 2023 Part 6, Nov. 5 2023.
Small narrow gauge railroad and local railroad.
昭和の残り香 信沢あつし
Jan. 10th 2024. Smell of oldies. A.Nobusan
A visit to a small narrow gauge railway in Japan, 2023 Part 6, Nov. 5 2023.
Small narrow gauge railroad and local railroad.
昭和の残り香 信沢あつし
Jan. 10th 2024. Smell of oldies. A.Nobusan
2023年のトロッコ旅(!?)を振り返る。その7は、四国からの帰り。
11月4日、高知県の田野町での「第一回 森林鉄道サミット in 高知」に参加し、翌日5日は「ホテルなはり」前からの魚梁瀬森林鉄道を辿るバスツアーに参加。
奈半利川線で山へ入り、途中で合流する安田川線で戻るというルート。しかし、そのルートには沢山の森林鉄道遺構が残されていた。
戻って来ると午後1時半頃に宿泊地の岡山を目指す。出来るだけ早い時間に岡山の居酒屋「放駒」に入りたいから、南国ICから岡山まで、今回は高速利用。
午後5時半にはホテルに着き、6時には放駒へと入った。夏にも寄っているので、おやじさんと、おばさんと、常連さんと話しが盛り上がった。
11月5日、ホテルの部屋の窓から。たまたま旧国鉄色が!!
早起きして始発から見ていたいのであるが、最近は歳で難しいのが悲しい。ゆっくり起きて、あまりのんきに見ているわけにもいかないし。
この日の宿泊地は米原駅前。むっこう距離があるのであるが、兵庫県の山中の波賀森林鉄道の復元活動をしているところへ向かう。
「フォレストステーション波賀」の「波賀森林鉄道 復活暫定周回コース」に昼12時と約束をしたため、ここからも高速利用。
宍粟市の山崎ICを出て、コンビニ昼食を買い、すぐに国道29号線で山に入って行く。
岡山で高速に乗った頃から雨が少し降っていたが、山崎に着くと本降りとなった。山へ入るに従い雨は激しくなり、国道29号から右に分岐する辺りから風も強くなっていった。
到着すると辺りは美しい紅葉なのであるが、表に出るのも大変なほど。そんな中、周回コースへ行くと「波賀元気づくりネットワーク協議会」の方が傘を持って駆け寄って来てくれた。
普通の遊びなら風雨で諦めるのであろうが、ナローゲージの線路と機関車を目の前にして、雨も風も完全に忘れてしまった。(笑)
円形の108mのエンドレス線は暫定の物で、将来延長するとのこと。機関車は立山砂防軌道から来た北陸重機工業製。客車も立山の無蓋車で、そこに木造の上屋を架装している。
エンドレスを歩いて一回りすると、機関車のキャブで協議会の人が読んでいる。行ってみると運転をさせてくれた!!
月刊「とれいん」の取材でもあったので大サービスか。今度は機関車を運転して一周させてもらった。
※2023年11月には立山砂防軌道のモーターカーも導入された。
フォレストステーション波賀からは、国道312号線、播但線沿いから福知山を経由して舞鶴、小浜、と日本海側を走り、鯖街道で琵琶湖へ出て、木之本を回って米原とした。
で、その途中で「神子畑選鉱場跡」へ寄る。随分前に行きたかったところだが、あの時は寄り道が過ぎて寄れなかった。
駐車場にビートルを止めると、向こうに「一円電車」が保存展示されていた。
トイレを借りて話をすると「線路は全部撤去したよ」という話。でもインクラインとか残っていると話すと、「その下の駐車場の脇にも少しだけ残っている」とのこと。
選鉱場の施設も殆ど撤去され、コンクリートの土台が残るだけである。その端にインクラインの線路が残る。上部は一円電車の線路があった所だ。下ったところには坑内軌道といって良いのか500mmゲージの線路が続く。ただ残されているのは極一部だけ。
昔はこの軌道が播但線の新井駅や生野銀山に続いていた。
でも、一部残された線路が楽しくて、 一時間も滞在してしまった。(笑)
そんな渋いところだから、3度程ここで食事をしたのだが、今も残っていた。ただ多くが新しい建物になってしまっていたが。
神子畑選鉱場を出ると、間もなく「神子畑鋳鉄橋」が残る。三期八選鉱場と播但線新井駅を結んだ500mmゲージの「神新軌道」の線路跡である。
線路跡らしきところには2両の鉱車が保存され、ペンキで線路が描かれた公園になっていた。
そこにビートルを止めて橋へと行く。
鋳鉄、鋳物のらしく、美しい造りである。
橋を渡った先には軌道跡らしきところが湖密になって残っていたが、たまたま工事中で立入禁止になっていた。
普段なら扉をを開閉して歩けるようだが、今回は諦めた。それに時間もないし。
寄り道をしていたから午後3時半を回ってしまった。ここからはとにかく米原を目指す。雨は強くなったり、弱くなったり。福知山、舞鶴に抜ける辺りでは「大雨」の電光掲示も出ていたほどだった。
米原駅前に行っても、大した店がないため、長浜で夕食の店を探したが大した店はなく、ステーキガストで夕飯にした。
米原駅のホテルの部屋からは線路が見えないのが残念である。エレベータの待ち時間に廊下の端から駅構内を眺める程度だ。
4月も7月も、ビートルのトラブルで帰りを急いだが、今回は少しは寄り道をして帰れる。
群馬を出てから約1,300km。トロッ子さんが150km運転したので、1,150km程運転した計算になるが、寄り道の事を考えると、全く疲れを感じないのが不思議である。
米原から国道21号線だか、この通り沿いは中山道の面影を残す宿場が多く残っているので嬉しいルートである。
早速、醒ヶ井宿に寄り道をして、'65 ビートルの写真を撮る。平日の朝であるから観光客もほとんどいなくて快適である。
続いては関ヶ原宿でる。一度走り抜けたかった「旧伊勢街道」を走ってみた。古い建物はほとんど残っていないが、向かいのままの細い道路はありがたかった。
大通りに出ると左折をして折り返すように伊勢街道のバス通りで戻る。
その途中で高木製材所に寄ってみた。前回4月は雨が降っていたので再訪して見たが、お留守の様だった。
さて、続いては美濃赤坂宿である。
近くの中華屋で戦地を食べて、すぐ近くの旧矢橋大理石に寄る。
ここには国会議事堂で使用された大理石を運ぶための引込線があり、近年まで残されていたのが、ついに撤去されてしまった。美濃赤坂駅構内の端に、斜めに引込線跡の砂利の道が残っていた。
矢橋大理石側も撤去され、道路は再舗装され、門の中も撤去されていた。門を入った先は、ほぼ塀沿いに真っ直ぐ延びていただけであるから、わずかな距離ではあった。引込線の終点部分は倉庫の中に入り、そこは貨車一両分程度のプラットホームになっていた。今は倉庫もなくソーラーパネルが並ぶ。
そんなところでモタモタと写真を撮っていると、遠くの方でホーンの音がした。工場の重機の音かとも思ったが、再び聞こえたホーンの音は、こちらに近付いて来ているようであったから、西濃鉄道の線路を辿って歩く。
美濃赤坂宿、中山道と交差したところに昔は駅があったらしいので、そこを目指して歩いていると、向こうから列車がやって来た。
DE10 1251が留置されていたので、新造車のDD451を期待したが、DD403が補器を牽引してきた。
その後、DD403が、JRのEF210に貨物列車を引き渡すのを見て、矢橋大理石の工場へと向かう。
工場を横切る道路には、複線の線路が今も埋まっていた。石材置場側はある程度撤去したようであるが、工場側はコンクリートやアスファルトに覆われつつもほぼ線路は残されていた。
写真の工場内は奥でポイントで一本になるまで複線で、右側が加工前の原石を運び込む線路で、左側が加工をする工場前を通って、道路を渡った倉庫へと続いていた。
奥で単線になると右カーブをし、更に道路を横切り、その先で医師の切断工場内へと入っていた。
美濃赤坂の線路を楽しんだあと、もう一ヵ所。大したところではないのだが、東海道線をくくるトンネル「マンボ」というところに線路があるという話が以前からあり、気になっていたので寄ってみた。
マンボとは高架線を横切る通路の事のようで、人が通る場合もあれば、水路の場合もある。
覗いた感じは水路のマンボであるが、その上に線路の軌框のようなものがあるだ。ここは線路の両側が池であったからそれを埋め立てるためのトロッコかとも思ったが、このレールの骨組みの上に板を渡して通路にしていたようだ。
レールなのであるが線路ではなく、通路の端の骨組みだったのである。
ビートルが調子が良かったので、ついつい寄り道を楽しんでしまった。
でも、そのお陰で一切眠くなることなく、1,872kmを走り切ったのだった。
私の場合は、トロッコの線路を見ると、興奮して脳内麻薬でも出るのであろう。
4月と7月の遠出が不完全燃焼だったが、最後の遠出は存分に楽しんだ。結果的には良い2023年であった。