2019/10/16 今朝は馬場川沿いを歩いてきた。

A special spot on the Baba River in Maebashi.

昭和の残り香 信沢あつし

Smell of oldies. A.Nobusan

なぜか午前3時とかに目が覚めて、朝方に仕事をしたりしてしまう。ただ、毎日PCに向かっての仕事ばかりではいけないから、歩きたいと思っていた。先日、台風19号の翌朝も3時に目が覚めていたから、日の出前の5時過ぎから台風一過の街を歩いてきた。

それで「意外といける」と思い、今朝も5時半頃から表に出てみた。駅前通り方向に歩き、五差路に向かう。二つの歩道橋を上がれば、美しい日の出を体験できるかと思ったからだ。

町は薄っすらと濡れていた。一つ目の角で、大きな声が近づいてきた。まだ朝早いのに、ちょっと迷惑だな~と思いつつ、横目でちらりと見て通り過ぎる。どうも、携帯で話しながら歩いているようだが、静かな朝では、話が筒抜けである。

次の角のスーパー牛込の屋根下駐車場には少し水が溜まり、向こう側のコインパーキングの明るいライトを反射していた。曇っているせいか、そこそこ明るく感じる。八幡様方向を見ると二軒の焼き鳥屋が大人しくしていた。昨晩はお客さんが入って明るかっただろうに。

「安太夫」の看板の電気が点いている。営業しているんたな。一度泊まってみたい渋い旅館だ。そこで左折をすると正面は、喫茶店のイーグル。右手には居酒屋があり、その隙間の空き地の奥には雨に濡れて黒くなった崩れかけたような家。台風19号の長雨で、随分と雨水が浸みたであろう。

ニューデリーの前を横切り歩道橋へ。階段の下には雑草が茂り、蔓が階段の前を横切って伸びている。階段は黒く水が浸み込んでいる。階段を上がりながら東の空を見るが、どうも今日は奇麗な日の出は期待できないようだ。ただ全体的に灰色の空。

歩道橋を降りると、今度は四角くなった歩道橋へ上がる。ここはアーチ形の屋根がある。階段から上を見上げれば、アーチ形の屋根が奇麗に結合される。向こうへ降りる階段は街灯の明かりを通してオレンジ色に。歩道橋部分は天井に明かりが点々と点く。意外と美しい光景を作り出していた。

日の出は5:50だと思ったから、ここまで来ると既に過ぎていたが、空はただ灰色のまま。美しい夜明の空は、もう諦めた。歩道橋を上がると右手に行き駅前通りを横切り、今度は左に行き国道50号を横切る。午前6時だが、もう通勤の車が走り出している。

歩道橋を50号側に降りる。道の反対側には和菓子屋の「青柳本店」、隣は看板をペンキで塗りつぶしてあるが、浮彫の「〇合魚店」の文字が読み取れる。一文字目は、どうも削り取ったようだが、削り取った部分は「落」と読み取れ、すっきりする。

美しい日の出はなかったが、随分と明るくなり、左手の駐車場越しに少し煙った赤城山が見える。昔家具屋だった信号の角を左折して、馬場川沿いの道へと降りる。田中石材店の細い路地を抜けて馬場川沿いに。台風が行き過ぎたら急に肌寒い日々となったが、薄暗い空の元の馬場川の流れは、寒々としている。

歩道橋を50号側に降りる。道の反対側には和菓子屋の「青柳本店」、隣は看板をペンキで塗りつぶしてあるが、浮彫の「〇合魚店」の文字が読み取れる。一文字目は、どうも削り取ったようだが、削り取った部分は「落」と読み取れ、すっきりする。

美しい日の出はなかったが、随分と明るくなり、左手の駐車場越しに少し煙った赤城山が見える。昔家具屋だった信号の角を左折して、馬場川沿いの道へと降りる。田中石材店の細い路地を抜けて馬場川沿いに。台風が行き過ぎたら急に肌寒い日々となったが、薄暗い空の元の馬場川の流れは、寒々としている。

左手はカラタチの生垣が続く。今まで忘れていたが、カラタチのトゲの下にはポツポツと雨の雫が付いている。雨が降ったのである。生垣からひょろひょろと伸びた一本の交互に出ているそれぞれのトゲの下に、3つ4つの雫がぶら下がる。カラタチは意外なところに雫が溜まる。面白いと、注意して眺めて行くと、いくつもの枝のトゲに雫がぶら下がるのも見えてきた。ちょっと嬉しい発見、体験だった。

馬場川にはいくつもの小さい橋が架かるが、多くは古いコンクリート製。台風の長雨が浸み込んで黒くなっている。

正幸寺のところをいつもは左に行くが、今朝はそのまま馬場川沿いに。右手には染物屋の煙突があったように思うが、煙突も看板も無くなっていた。右手の寺は大きな木々が茂るが、目の前に金木犀の木が。今年は台風19号が行き過ぎたら、突然香りだした。花は満開というのだろうか。沢山咲いている。ただ、目の前にあると匂わないのが金木犀である。通り過ぎた頃に、良い匂いが漂ってきた。金木犀の香りは漂ってくるのである。

寺の入口のところの橋は立派である。お寺らしい造りである。その斜向かいの広場の中央には一本の大きな木。その向こうには黄色い花畑。黄色い花が一面に広がり美しいが、セイタカアワダチソウである。脇には、何やら別のものが群生しているが、台風の影響か、一方向に向かって枝垂れて、倒れている。ただ、その葉には小さな雨露が点々と付き美しい。

その向こうは商店がある。小学生時代にこの辺りの駄菓子屋に寄った記憶があるが、この店だったのだろうか。もっと汚い古臭い店だったと思うが。そして、2、3軒先へ行けば中川小のところへ出る。

中川小の周囲は区画整理が進み、子供の頃の面影はない。この辺りで引き返そうと、歩道橋に登ろうとすると階段はガードレールに挟まれてとても狭い。渡るのは子供だから良いというのか。自動車が走る道が広がり歩道が狭くなったのだろうと思うと、ちょっと違うだろうと言いたくなった。とりあえず歩道橋とガードレールの隙間を通り抜けてたりしたら、その向こうが気になった。

私の母親の実家である。肉屋の隣だが、ちょうど肉屋の影て家が見えない。見えるところまで歩い「まだあった」と確認して引き返す。

今度は歩道橋に登って帰ろう。歩道橋の中程で、国道50号を撮っていると、下からフォルクスワーゲン・ビートルが現れた。「'77 1200LEだ!!」と直感する。40年もビートルに乗って、様々なビートルを見てきたから、無意識に年式が浮かんでくる。確かに色もそうだし、インジェクションだと自分で再確認をする。

英数学館はなくなり、いつの間にか建物も無くなった。その先の松竹院へ行く角の所は、子供の頃はお茶屋だった。母親の実家に行くときは、ここでお茶菓子を買ってもらったものだ。細い竹ひごの先に砂糖菓子付いたものだ。花やウサギなどの形をした砂糖菓子だった。

国道50号沿いを歩いて帰る。目崎酒店は佐久の土屋酒造店のお酒を扱っていた。まだ営業をしているのだろうか。公園の入口の信号の角は両親が親しくしている靴屋さんだった。その手前には惣菜屋が2軒並んでいたように思う。片方の店には、車の形をしたガムがあり、それには小さな車のおまけが入っていて、いつも私は、それを欲しがった。

靴屋さんの角を曲がり公園方向へ。公園の入口の両脇の木は色付いていた。その色付いた木の向こう側に、赤緑青黄色と塗られた遊具。遊具も含めて秋に色付いたように思えた。

石崎接骨院の裏を歩いていくと、向こうには「シブヤ・ドラミング・スクール」の看板。渋谷さんちかと思う。その先の角にはポツンと1軒、駅前らしい、昔の事務所が取り残されていた。恐らく両隣が解体されたために目に飛び込んで来たのだろうが、駅前を感じさせる事務所建築である。確か、この辺りには重田君ちがあったはずだ。角だったのか、隣だったのか。父親同士が知り合い、仕事仲間だったのだと思う。

その辺りを少し行き来すると、古い床屋が残っていた。営業しているのかは不明だが、床屋の赤と青の渋いガラス製のサインが残っていた。

駅前通り方向、ゆ~ゆ方向へ足を向ける。右手には昔ながらの材木屋がある。隣は富沢接骨院だったはずだ。確か1995年頃に先生の一人がうちに寄ったことがあるから、そのころまではあったのではなかろうか。

今でも、誰かが使っているのだろうかと思える、駅前通りの歩道橋を登る。やはり階段、コンクリート部分は雨が浸みて黒い。段々は少し凹み、そこは小さな水たまりになっている。欅の大木に囲まれているということもあるだろうが、手すりは青黒くコケが生えている。今回の台風の長雨では、ここまで苔むさないだろう。

その辺りで「おしん」が始まる頃だと気が付く。7時13分だ。2分で家には帰りつかない。とりあえず7時半からの朝の連ドラ目掛けて急いだのだった。

表町二丁目にあった大きな材木屋(製材所か?)は解体され、しばらく学習塾の駐車場になっていたが、最近工事が始まったと思ったら、二丁目の山車の車庫になったようだ。

美しい朝日も、朝焼けも、秋のうろこ雲もなく、帰宅することとなったが、なかなか楽しい時間を過ごし、なにより身体を動かせた。ちょいと毎日続けてみようか。