2019/11/06 若草公園を経由して
昭和の残り香 信沢あつし
Smell of oldies. A.Nobusan
昭和の残り香 信沢あつし
Smell of oldies. A.Nobusan
人丸様を出て、前女の西の道を歩き北側へと行くと、柿がいい色になっていた。
少し北に行き振り返ると、前女の上に「鉄人の頭」があった。小学生時代、これを見て鉄人28号の頭を思い出し、誰もが「鉄人の頭」と呼んでいた。
私の好きな、小さな町工場。今もやっているとは思えないが、残された設備と、塀のホウロウ看板が良いのである。
その小さな工場の角を曲がる。この通りに中学の同級生の家があったように思うが、具体的にどこだかは分からない。
しばらく行くと、柿の木があり、沢山の柿がなっていた。今年の柿は豊作だろう。
柿を透かして見ていると、その先にはブランコが。若草公園である。
小学生時代、公園の名前があったのか、なかったのか、他の公園の名前は知らなかったが「若草公園」の名前だけはメジャーだった。
公園のメインの入口には、シュロの木が数本植えられている。ちょっとホテル・カリホルニアの雰囲気がある。(笑)
壁面状の遊び方が分からない遊具。八幡様にもあったが、どうも遊び方のイマジネーションのわかない代物だった。
こちらは滑り台の豪華版である。これができる前は、この西側に、ちょいと大きい鉄製の滑り台があり、確か登り棒のようなものもあり、小学校1年生には、かなり危険な香りのする遊具だったことを覚えている。
今も赤い滑り台があるが、そんな小さいのは子供だましだと思ってしまう。
もう一つ、大きな土管をコンクリートの台座で持ち上げた遊具もあり、それにも滑り台があったが、滑り台よりも、その土管の上に上がれてしまうのである。しかし、土管であるから、両脇がカーブしており、やはり登るには度胸のいる遊具であり、それだけに魅力的だった。
そんな危険な香りのする遊具は、ここからは消えてしまった。
傾いた日を浴びる、ホテル・カリホルニアりインチキなパームツリー。昔の公園の植込みは美しい。
はて? こんな大木があったのだろうかと思うが、あれから50年以上が経つのであるから、巨木になるはずである。
公園に入った時、「すいませ~ん」と声を出しながら小走りで消えた郵便配達がいたが、彼がトイレからハンカチで手を拭きながら、ゆっくりと出て歩いていく。郵便配達の苦労を垣間見た。私もホッとした。
これは30個ぐらいが回るく、高さもランダムな感じで並べてあった遊具の残骸である。グルグルとこの上を走り回り、高低差の大きいところを無理やり飛ぶような、スリリングな遊びができた。
今は、年寄用にベンチ代わりにいくつか残して置いたようでもある。
公園の南側を出ると正面は空き地である。随分と前に空き地になったと思うが、今もなお空き地。
向うに見えるのは前女の体育館だろうか。
風呂川は、水が流れていない。水の代わりに落ち葉が吹き溜まっていた。秋である。
そして、玉村県道へとでる。拡幅前はイチョウ並木だったような気がするが、今は流行だろうかハナミズキ。赤い実が奇麗であるが、どうも、このちょっと派手さのない、地味な紅葉が、私は好きではないんだな。