2021/09/04 肌寒い雨の中、青井食堂

In the chilly rain, I went to AOI SHOKUDO.

昭和の残り香 信沢あつし

Smell of oldies. A.Nobusan

以前から土曜日は青井食堂へ行っていたが、定年退職をしてからは、毎週土曜日に行くようなになり、週一の公認でビールを飲める日であったが、いつの間にか新型コロナウイルス感染症のお蔭で、飲食店の酒類の提供禁止の日が今は続いている。

一週間前までは夜になっても熱帯夜が続き、先週は猛暑の中を歩いたのであるが、9月に入ると、だらだらと、しとしと雨が降る日が続き、気温は連日下がり続け9月3日頃から長袖シャツが着たくなった。

雨の中を歩いて串モンの角を曲がって八幡様方向へ。いつものコースであるが、雨のせいなのか、新型コロナの緊急事態宣言のせいなのか、車も人も極端に少ない。

大した雨は降っていないのであるが、連日のしとしと雨で地面にはたっぷりと雨水が溜まっているいる感じだ。八幡様の境内には、雨の川が出来ている。

八幡様の中を歩いていると、緑と黄色の奇麗な落ち葉が濡れて光って美しい。雨で落とされたのであろう。そう考えながら通り過ぎると「桜餅の香り」が。

桜の葉の香りである。桜の落ち葉が、こんな香るとは思わなかった。

しかし、秋が深まる前に、こんなに葉が落ちてしまっては、紅葉が美しくなるのか気にかかる。

いつも八幡様の前のミカドの前から赤城山方向を撮るのだが、雨で赤城山は見えない。クルマの通りもまばらな国道50号の向こう、千代田通りを赤い傘の女性が一人下っていく。

私も坂を下ると、馬場川沿いの馬場川通りへ。ここでも桜の葉が落ち良い香りが漂っていた。馬場川は最近魚が戻ってきているので歩きたいが、向こうから2、3人が歩いてくる。マスクを付けたくないので、途中で右手に入り、人気のない道を選ぶ。

中央通り商店街、銀座通り、千代田通りが囲け内川は、スナック街というか、飲み屋さんがまとまっている。ただ冷たい雨に濡れ、昼間ということもあり、活気は一切感じられない。新型コロナで酒類が提供できずに、ずっと閉めている店も少なくないから、実際にかつての活気は失われているのだろう。

写真左手は近年まで「前橋芸妓組合見番」の建物が残っていた。恐らく高級な料亭などが多かった地域ではないかと思が、今は昔風情の料亭は少ない。

昭和40年頃から、高度成長期が始まった頃から、一部のお金のある人を対象にした高級で華やかな料亭やキャバレーは減り、大衆的な店ばかりになっていた。

そして今や高度成長期のようなことはなく、そんな時代を謳歌していた世代も高齢化し、街から姿を消してしまった。

景気的にも決して良いとはいえず、冷たい雨がしとしと降り、新型コロナで、暗くて、うすら寒い。更には雨の日が続く、朝も昼も猛暑の日が続くという異常な天候の閉塞感というものもある。

そんな時代でも、昭和の頃と変わらない味で温かみのある青井食堂。憩いの場、癒しの場である。ただ、酒類の提供がないのが寂しいが。

肌寒い日だったが、歩いて少し蒸し暑く感じたので、ノンアルコールビールと冷奴にしたが、身体が冷えて、ノンアルは飲み切らない感じに。ビールだったら2本、3本と飲めるのであるが…。

食事が終わって表に出て目に付いたのが笹。和風の店舗で小料理屋であったのだろうか、以前から笹が気になっている。最近「売物件」になりスッキリとしたと思ったが、早速生い茂る笹。生命力の強さ、地下茎の怖さを感じる。

小雨になったので中央通りアーケードは歩かず、スズランの間を通って馬場川通りへと出る。

ここは真ん中に市が置かれ、その上にいつのまにかアジサイが生えている。きっと自然と生えたのだろう。流れる水は、この石で二手に分かれ、流れが速くなるのだが、その手前が泳いでいて気持ちが良いのだろうか、最近はここでたくさんの魚を目にする。「ウグイ」らしいが、子供の頃に「クキ」と呼んでいた魚だ。

子供の頃に馬場川で魚を見たことはなかったが、昭和50年頃から川を奇麗にしてきたらしく、その効果が4、50年を経て現れたということだろうか。また、昭和40年代とは違い、川を汚す要因も減ったということもあるだろう。

近年、馬場川通りにはえんじ色の旗が下がっている。緑との相性も良くいい色だと思う。川沿いのこの辺りにはサルスベリもある。面白いのは東から、白いサルスベリ、濃いピンクのサルスベリ、淡いピンクのサルスベリとそれぞれの色が違っていることだ。

そんなサルスベリの向こうの黄色い看板は、ショットバーの「Yellow Monkey」。定年してから1度寄ったように思うが、今も元気にしているだろうか。また、いつでも飲みたくなった時に、ふらっと飲みに行けるようになって欲しい。

馬場川から、元岩六旅館の跡地の駐車場を抜けて国道50号の本町歩道橋へ出る。まだ3時過ぎだというのに薄暗い中に国道の街灯と八百屋の電球に明かりが灯っていた。

歩道橋を下るところからは深澤時計店。こちらも橙色がかった明かりが点いて温かみを感じる。とても歴史が長い「ゑびす通り」だから、ここもきっと歴史ある老舗なのだろうと思う。

ゑびす通りはクルマの往来もあるので、傘を差していると歩きづらいので、宮田屋の角を曲がり東電の裏の路地を歩く。

ここには父親の友人のガラス屋があったが2週間ほど前から解体が始まり、更地になっていた。この一角は、この10年で南の端から少しずつ更地になっていっている。

私の子供の頃の昭和30年代の景色は、多くが失われてきてしまっている。それどころではない。私の子供たちの時代、昭和60年代の景色でさえ、もう多くが失われてしまったように思う。