2023年 根利森林鉄道遺構(その1)

"NERI Forwst Railway" NERI TONE-Machi NUMATA Prefecture, JAPAN.

Small narrow gauge railroad and local railroad 2023

昭和の残り香 信沢あつし

Smell of oldies. A.Nobusan

2023年は3月22日と8月6日、短い時間だが根利森林鉄道遺構を訪ねた。

行ったのは群馬県沼田市利根町根利。バイクやクルマのオフローダーに人気の栗原川林道の南側の入口でもある。現在は通行止めの様であるが、利根町追貝に抜ける林道だ。

その根利には旧街道の「根利道」、「根利宿」があり、江戸から明治にかけて関東と会津の荷を交換する場所として賑わったという。

左写真、1998年の根利森林鉄道の土場、貯木場の跡。

その根利宿の脇を流れる根利川の対岸が、昭和38年頃まで森林鉄道があった所である。

1998年の写真では山の上に事務所が建っているが、そこと住宅地、かつての官舎だったところの中間に森林鉄道は通っていた。官舎の屋根の少し上に土手状に見えるところが、恐らく森林鉄道の跡である。

2023年時点では事務所は解体され、並んでいた官舎も一部解体されている。そして、屋根の少し上の柵状の格子が見えるところの上が線路跡となる。


左写真、2023年3月22日の森林鉄道土場跡。撮影日がない写真は3月22日。

県道62号線「沼田大間々線」で「根利」の標識で根利川沿いに下り、渡河せずに山沿いに走るとすぐに根利宿となる。家は随分と減ってしまったが、宿場町の面影を感じるに違いない。

写真正面の赤い屋根の角を左折し根利川を渡り、坂を登って右折をすると栗原川林道となる。

写真右手方向に栗原川林道は延びており、この辺りは森林鉄道跡の上に造られた道である。林道を下って来たこの変則的な四つ角、直進方向の下る道と、山を登る道の丁度中間の位置に森林鉄道は延びていた。今は中央のガードレールから道は右に折れ山を登るが、そこを直進した位置に線路があったのである。

写真左下が先に紹介した官舎であり、赤い屋根が写っている。

写真撮影、2023年8月6日

上の写真の道を直進し下る。右手山沿いが怪しい地形なのが分かる。ネットで囲まれた畑があるが、そのすぐ上に線路があったであろうことが分かる。

ここの線路が森林鉄道時代の土場への荷下ろし場である。この山側斜面から山中で切り出された原木を転がして落としていた。つまり、この道路も斜面の一部だったか、土場の一部だったということである。

今、官舎が残る所は昔は土場、原木置き場の貯木場であり、家は建っておらず、根利川沿いの広い平地に丸太が積み上げられ、並べられていた。

そして畑の辺りで斜面を見上げれば、コンクリート橋台が林立しているのに気付くはずだ。

根利森林鉄道は「乗り下り」と云い、丸太を積んでトロッコに跨り、動力は使わずにブレーキだけを頼りに下っていた。当初の起点は日影南郷であり、そこまで緩い下り勾配で線路が敷設されていた。

話しは少しややこしくなるのであるが、当初は日影南郷に土場があり、根利は通過地点であった。ただ根利川沿いに平地があったため林業関係者の官舎が建てられていた。

ところが昭和22年9月のカスリーン台風で、赤城の北側は大きく被災し、根利川沿いも大被害を受ける。根利宿の一部も流され、川沿いの官舎は流され、下流部では多くの線路が流失してしまったのである。

以前聞いた当時の林業機械化センターの所長の話に寄ると、沼田方面に出る唯一の道であった森林鉄道が途絶えてしまい、歩いて昔の根利道で子捨峠を越え、穴原を経由して老神温泉方面から沼田街道に出て沼田営林署まで行ったとのことである。

その結果、日影南郷-根利間がそのまま廃線となり、根利の官舎跡を土場とし、線路の山側に官舎を移し、根利から日影南郷へは根利川の左岸、赤城山側に急遽トラックで原木を運ぶための道を整備したとのことだ。

ここが県道62号線となって、現在に引き継がれているが、この時までは日影南郷方面へは道らしい道はなかったのである。

そして林立したコンクリート橋台であるが、根利が起点の土場となったため線路を水平にするために造られたのである。恐らく下り勾配で日影南郷へ向かっていた線路の路盤の上に築かれたのではないだろうか。

そして、このすぐ下流部にも森林鉄道の遺構が残っているのである。それはまたの機会に。