2019/11/06 龍海院の向う側から人丸様

昭和の残り香 信沢あつし

Smell of oldies. A.Nobusan

旧第四保育所の入口には畳屋があるが、その先を左に曲がり、龍海院の裏側の道を行く。

その角の家は、南側から見ると、なかなか良いスタイルをしているる。板塀と共に、懐かしい雰囲気を醸し出している。

その先の平屋は今も人はいないようであるが、きちんと玄関があり、瓦の屋根で良い造りである。

私の子供の頃、家の周りは、配給の木材で建てた家が多く、こんなに、家らしい姿をした家はあまりなかった。

妻面がトタン張りの家には、ちょっと親近感を感じる。ただ、手前の家がなくなったから、トタンで応急処置をしたようではある。

路地の中ほどまで行くと、利根の湯の裏となる。なにやら作業をしているような音がしたが、まだ時間が早いのか、煙突から煙は出ていない。

その反対側の広い敷地は、群馬紅雲町庁舎と今はなっているが、これだけ広い敷地で、つい最近まで立派な門柱も残っていた。小さい頃に、ここに来た記憶があるのだが、何があったのか。

その庁舎の敷地の端の角には、蔦が電柱を目指して延びていた。あと少しで電柱である。

ガンバレ。

角を左に曲がると、県庁がそびえていた。しかし、この電柱の天辺を目指す蔦には敵わない。私の興味は、この蔦である。

その先は「人丸様」である。水神様があり、厳島神社もある。そして、まつりの山車の車庫と遊具。前橋の八幡様などは、遊具が一切なくなったが、ここはその昔の遊具が、そのまま残っている。

この丸くて、グルグル回るジャングルジム的な遊具も残っている。今や、文化財ではないかと思いたくなる。体が水平になるほど、グルグル回して、グルグル回しながら、天辺を目指して、よじ登ったものだ。

人丸様という呼び名を知ったのは、中学になってからかもしれないし、中央小の子供たちは、ここまでは遊びに来なかったということもある。神社なのに「ヒトマル様」と神社らしくない名が不思議だった。

人丸様の角の街灯は、木製だった。古い世代の電柱だからか、柳がロングヘアーのように街灯にかかっていた。ちょっと危険な香りもしなくはないが。

さて、龍海院をぐるりと回って来たから、そろそろ帰路に着こうではないか。