2023年のトロッコを振り返る 2

京都府亀岡へ。中山道沿いのトロッコを訪ねる

A visit to a small narrow gauge railway in Japan, Part 2 Apr. 15, 16, 17 2023.

Small narrow gauge railroad and local railroad.

昭和の残り香 信沢あつし

Dec. 29th 2023.Smell of oldies. A.Nobusan

御嵩宿から近い工場のトロッコ線路

2023年のトロッコ旅(!?)を振り返る。その2

2023年は、私たちのワーゲンクラブの活動も春から再開となり、4月15日の未明に出て、京都の亀岡に向かった。勿論、行き来でトロッコに寄っていく。

夜が明けてまず寄ってみたのが、中山道御嵩宿から近い工場である。午前10時頃だったが土曜日で休みだっのであろう、声を掛けたが誰もおらず、シャッターから覗く線路を眺めただけで次へと向かう。


今年はトロッコを訪ねて遠出をすると雨が降るのか、この日も群馬を出発すると間もなく雨が降り出した。

再び中山道ルートで美濃加茂へと行き、寄ったのは太田宿である。過去に寄ったこともあるが、まさかトロッコの線路が残っていたとは気づかなかった。まだ修業が足りないということだ。

雨は強くなっていたが傘をさして太田宿を歩く。観光地の風情だが、雨のせいもあってか人はほとんどいない。

旧中山道太田宿
中山道太田宿の旧辰巳屋肥料店のトロッコ線路

そして、寄ったのはこちらの「旧辰巳屋肥料店」である。店舗の脇の狭い通路の格子戸の向こうへ狭い線路が延びている。

店舗を訪ねると、「たまたま私が居て良かったよ」と、ご主人が愛想よく線路を案内してくれた。

明治時代早い時期から、化学肥料を扱うようになり、近年おじいさんが無くなるまで肥料店を営んでいた。お爺さんが亡くなって線路を剥がそうかと思ったが、溝をコンクリートで埋めただけで残したのだそうだ。

農協が出来た時は少し厳しくなったようだが、それでも「農協では買わない」というお客さんがいたとかで続いていたが、ホームセンターなどが出来てしまうと成り立たなくなって来たらしい。ただ、古いお客さんがいて、おじいさんがやっているので、最期まで続けたようだ。

狭い通路を抜けると、雨ではあったが、明るく華やかな中庭に出た。そこを線路はクネクネとS字を描いて、奥の土蔵まで続いていた。

中山道太田宿の旧辰巳屋肥料店の中庭のトロッコ線路

中庭にはアジサイやシャクナゲといった、花がボールの様に束になって咲く花が植えられ、雨に濡れてレールと共に輝いていた。

レールは6kg/m程度だが、荒れ方からしてかなり古いと思われる。ゲージは508mmであった。意外と510mmや520mmのゲージもあるのであるが、ここは20インチというのが、古い時代の敷設を想像させる。

この通りには最近まで、もう一軒の肥料店があり、そこは店舗内に線路があったらしいが、既に解体されたとのこと。

再び中山道ルートで西へと向かう。大垣を過ぎた辺りで昼になったが、雨と暗さで、飲食店も見つけるのが大変で関ヶ原宿へ。

そして関ヶ原たまりの角を曲がって行ったのが「高木製材所」である。製材所内に製材機の線路もあるが、並びの倉庫にも謎の線路があるのであった。

倉庫の建物は大正期を思わせる造りで、ミズノのゴルフクラブを造るときにミズノから移築したという元乾燥室であった。600mmゲージで、レールは9kg/mレール相当だが、こちらも腐り具合から古いものと思われる。恐らく線路もミズノから移築されたのであろう。

中山道関ヶ原宿の高木製材所のトロッコ線路

製材機の線路は昭和30年代の物だという。送材車という原木を乗せて移動する台車側は3代目とのこと。2台目までは木造台枠の台車だったとか。

製材所前の狭い通りは昭和初期に出来たであろう伊勢街道のバス通りだという。今は車同士の擦れ違いに苦労する狭い道であるが、この道が出来たことで、トラックでの木材搬入出が可能なここに工場を建てたようである。

また、ここには「関ヶ原のお茶」の看板も出ている。製材所裏の工場が製茶工場だった。実は関ヶ原はお茶の産地で一時期は7、8軒の製茶工場があり海外にも輸出をしていたとか。今は、こちらの一軒のみらしい。

中山道関ヶ原の高木製材所の製材機の線路
関ヶ原の高木製材所から関ヶ原たまりを見る

高木製材所の今の御主人は、私と同世代。確か「1979年に、1969年のワーゲンを買ったのですよ」というから、私と同じビートルかと思ったら「K70です」とのこと。確かに、1980年頃は、まだK70が普通に走っていた。それ以来、ずっとワーゲンで、今もワーゲンとのこと。ただ我が家とは違って、ずっと水冷ワーゲンではある。

そんな話でも盛り上がってしまい、遅いお昼は近くのコンビニとした。宿泊地は京都の亀岡である。もう寄り道はしていられない。

関ヶ原のコンビニからはトロッ子さんの運転。琵琶湖の湖岸道路を走り、近江大橋辺りからは私の運転。

雨ではあったが順調に京都市街へと入った。国道9号線のイオンモール京都五条で信号待ちになった。目の前は阪急京都線が横切っている。買い物客の渋滞かと思ったので「ここで何回、阪急電車が見られるかな」と言ったら、全く動かなくなった。

雨が降る中、辺りはどんどん暗くなっていく。ライトを点けて、時にはワイパーも動かして。少し進んでも、信号待ちでは左右から車が流入してきて、なかなか前には進まない。そんな渋滞が約1時間。

'65VWと東海道線貨物列車
亀岡のジョリーパスタの'65VW

桂川を渡った先で電柱工事。それも3か所ぐらいで道路の片側を塞いでやっている。どうも事故で電柱をなぎ倒したようだ。阪急嵐山線の手前でやっと流れ出した。

そして老ノ坂トンネルを抜け、亀岡側に出ると流れも良くなったのだがライトが暗いのに気が付いた。点いてはいるが、なんか暗いのである。まあ、走れないわけではないので、亀岡のジョリーパスタで夕食。ライトを確認してみるが暗い。

夕食後はすぐにエンジンが掛かり、ホテルへと着いたのだが、翌朝はバッテリー上がりで掛からなくなっていた!!

ビートルにはトロッ子さんが乗り込み、私が押して、なんと朝からの押し掛け。

ホテルを押し掛けで出発すると、ワーゲン仲間が集合する「ガレリア亀岡」の地下駐車場へ。そしてヘッドライトはまだ暗かった…。

日曜日はワーゲン仲間で旧質美小学校へ。バッテリーが上がっていたので、出来るだけエンジンは切らず。みんながいるところで、何度かエンジンを始動したが、ある程度充電されたようで一安心。

解散をして質美小学校を出ると、山陰線下山駅前を経由して小浜へ。下山駅前も渋いと思ったが、その先には古い橋脚の遺構が残っていた。

この日は小浜に一旦出てから鯖街道で琵琶湖岸の高島に出て、北岸を巡るようにして米原へ。途中のトンネルでヘッドライトを点けると暗かったが、確認でハイビームとの切替をしてみるとロービームも明るく、元に戻った。切替のスイッチの接触不良のようだ。

山陰線下山駅付近の鉄橋
木曽上松の製材所跡。トロッコの線路がある

バッテリーも問題なく、ライトも明るくなって、安心して米原に泊まったが、月曜日は寄り道はなしにして群馬の整備工場を目指した。

でも、走り出すといつも通りに走ってくれたので、ちょっとだけ木曽上松に寄った。上松の製材所の跡地である。昨年秋に寄った時に通り過ぎてしまったからだ。寄ってみると、以前と殆ど変わっていなかった。恐らく762mmゲージの線路が残っているのであろうが、レールは確認できないほど根を張った枯草で覆われていた。

その後も順調に走り、夜8時前には整備工場に到着。点検してもらい異常なしを確認してもらった。

行きは雨であったが三か所でトロッコに寄れ、大渋滞や、それによるバッテリー上がりを経験して、ライトのスイッチもおかしくなって…。それでも'65 ビートルのプチトラブルは解消して帰れるという充実した(笑)遠出だった。