連続研究会「明治期における人間観と世界観」
第4回「明治期の自然災害」

第1ユニット連続研究会「明治期における人間観と世界観」
第4回「明治期の自然災害」

10月8日、東洋大学白山キャンパス8号館第2会議室にて、出野尚紀客員研究員を迎え、「明治期と自然災害」と題された第1ユニットの研究会が開催された。この研究会は、「明治期における人間観と世界観」をテーマとした連続研究会の第4回として開催されたものである。

本発表では、「自然災害」を切り口にして明治期の人間観や自然観について報告がなされた。とくに明治・大正期に発生した地震、水害、火山噴火等の自然災害による被害程度と、これらの災害に関する当時の著名人による記録等とをつき合わせ、明治期の自然観を浮き上がらせようとした。ただし明治期の自然災害についての記録の多くは、個人の体験について述べられたものにとどまり、基本的に「自然」や自然観について大局的に述べられたものは少ないという。

まず、取り上げられたのは、渋沢栄一の「天譴」論であった。渋沢は、災害を、幕末期の清廉さを失った社会に下された罰だと見なした。このような意見は、明治維新を経験した人々の多くに共通するものであった。対して芥川龍之介は、政治経済に影響を与えることのできない一般市民が被害にあうのは、不平等だと論じた。芥川の世代にとって、渋沢の議論は、儒教倫理に固執した古臭いものであったとのことである。

 さらに、谷崎潤一郎や樋口一葉の日記が検討され、井上円了の巡講日誌における三陸津波の記録が論じられた。淡々と事実を記述するだけの円了の講演日誌において、特に津波の災害が言及されていることから、津波の災害が円了に強い印象を与えたことが推察できる。最後に、寺田寅彦の随筆が紹介された。寺田寅彦は、度重なる災害が日本人の世界観を形作ったと論じていたのである。

明治期においては、欧米の思想は受容されていたが、人間と自然が対決する西洋の自然観は受け入れられていなかった。むしろ、自然を擬人化するような、旧来からの仏教的自然観が支配的であったのである。明治期の自然観の輪郭を浮き彫りにしたことが、この研究会の大きな成果であった。