2018.04.04WED

河本英夫「石巻アート・フェス」

 2017年7月下旬から9月上旬にかけて石巻牡鹿半島を会場として、アート・フェスティヴァル(REBORN ART Festival 2017)が、音楽プロデューサー小林武史を実行委員長として開催された。いくつかの偶然が重なって、私はこのアート・フェスにかかわることになった。もともと夏の音楽ライヴとして毎年行われていたが、音楽だけであれば、一晩の宴を過ごして、それでひとつのイヴェントとなる。だがそれでは、地域の特性を存分に発揮するところまではいかず、もともと音楽ライヴはどこでやってもよい。山形でも仙台でもよい。参加してくれる人たちの多くは、首都圏からの移動者である。そこで今年から石巻の牡鹿半島に、環境に合わせてアート作品を展示し、石巻の食材を新たに料理のメニューに加えて、音楽とアート展示と食事を含めたフェスティヴァルが企画された。人の動きが作りだせれば、地域起こしにもなり、場合によっては新たな起業にもなりうる。

 今回はそのための開始である。初回だから万遍なくうまくいくというわけではない。現地の気候にも左右される。野外活動の難しい所である。それどころか2017年の夏は例外的なほど奇妙な夏である。だがこうした企てを何度も繰り返していれば、そこから多くの企画も生まれる。そうした思いを籠めて、開始されたフェスティヴァルである。これを実行するための一般社団法人も設立され、文化庁からの補助金の受け皿も準備され実行されている。

1 体験的エクササイズ

 多くの企画のなかに、アート・ウォーク(REBORON ART Walk)というのがある。1泊2日の体験的エクササイズである。私はこのプログラムの構想・企画・実行にかかわった。体験的エクササイズであり、多くの人が一度もやったことのない企画を入れて行かねばならない。プログラム・ナヴィゲーターは成瀬正憲、プログラム総務は志村春海である。まず暗黒舞踏のワークショップから入るのが良いと思われた。そこで東京在住の向雲太郎さんにお願いして、やっていただいた。

 牡鹿半島は、鹿が増えすぎており、恒常的に鹿の駆除が行われている。その鹿を食材として活用する。もちろんこれを売るようであれば、食品衛生上の多くの許認可を取らなければならない。だが自分たちで食べるのであれば、そこはパスしてよい。ライフル銃で撃ち止めた鹿の皮剥ぎから切断、食肉化まですべて自分たちでやっていくのである。これの料理は、やはりプロ中のプロがやってくれた。地元でレストランを経営する目黒浩敬さんである。目黒さんは当初山形でイタリア・レストランをやっていたようだが、SNSで評判になってしまい、予約で3か月先まで埋まるようになって、もう顧客の希望に応えるような食事をだせなくなり、一度リセットをするためにその店をやめて新しく立ち上げることにしたとのことである。だが新しく設定した店も、そのままでは多くのスケジュールが予約で埋められてしまう。そこで店のアナウンスをフランスやイタリアから開始して、外国からの情報ではじめて日本で知られるようにしたいとのことであった。

 その後刺し網漁の仕掛けに船で同行して、刺し網の降ろし方を見学する。地元の名人芸の漁師甲谷強さんの船に同乗した。甲谷さんは中学卒業後一貫して漁を行い、その道70年のプロ中のプロである。漁船に乗ったことのある人はほとんどいないだろうから、良い体験になると思う。船板一枚、下は地獄である。その後調理された鹿料理を食べて、そのまま宿泊地に直行である。

 2日目の朝は、刺し網の引き上げからである。陽が登る前に引き上げてしまわなければならない。朝4時に起きて、宿泊地を発つ。この時期にしては、大漁であった。海岸について魚を降ろした。リアス式海岸でも入り江によっては小さな砂浜はある。海流が舞うような地形の場所では、陸を削った小さな土や砂が水流の速度の遅い所で海底に沈み、何万年もかけて砂が積み上がる。それが砂浜である。この砂浜でご飯を炊き、魚を串刺しにして直火でやいて、みそ汁も作り、海岸の浜沿いで朝食である。引き上げたばかりの魚を食べるのは、めったにできない体験である。多くの魚に混じってコチが1匹混じっていた。ナマズのような姿だが、滅多に食べられない高級魚である。姿が川魚のようなので誰も串刺しして焼こうとはしない。最後まで残っていたので、私は自分で食べることにした、骨の硬い白身のあっさりした魚である。私自身も、はじめて食べた魚である。

 その後小さな波打ち際の舞踏エクササイズを行った。自分の身体に集中して環境を感じ取るためのエクササイズである。海に向かって海を感じ、波に浸って波を感じるエクササイズである。その後海岸沿いから崖のような坂道を登り、途中にあるアート展示をみた。その後しばらくは休憩である。なんと言っても朝4時から動いている。そろそろ休みを入れなければならない。その時間帯に、私は現地で運営全般にかかわっている志村春海さんの車を借りて、大崎晴地君と参加者1名を乗せて、まだ見ていないアート作品を見て回った。牡鹿半島の先端にあるDエリアと呼ばれる地区に設定されているアート群である。この地区には年季の入った作家による多くのアート作品が置かれていた。最後にもう一度身体表現ワークショップである。2日間のエクササイズをつうじて参加者の身体は、信じられないほど見事に動くようになった。

 全体として、盛りだくさんに設定されており、WAOWAO, NHK、さらに各プレスの取材が張り付いていた。NHKは甲谷強さんのドキュメンタリーを作っており、その一部を取るためにやってきていた。これだけの体験的エクササイズを組み込めば、やはりアート作品は力負けして、霞んでしまう。やむないことである。というのも体験的エクササイズは、身体を含めて自分自身をリセットすることであり、そのなかには自分自身を作品として作り出すことも含まれている。そうした作業は、自分の外に作品を体験することに比べて、圧倒的な迫力でもある。こうした作業を経て、作られた作品の体験を何度か行えば、作品そのものの受け取りさえ変わってしまうのだから、作品はたまたま通り過ぎられていく風景の一コマにしかならないようなところがある。身体を作り変えてしまうほどのアート作品とはどのようなものかとも思う。アート作品に余程の力強さがなければ、体験的エクササイズには、きっこうできそうにない。そうしてみるとこの体験的エクササイズは、アート作品に言ってみれば圧力をかけているのである。

2 アート・チャレンジ

 アート作品のプロデュースは、ワタリウムを企画・運営する和多利浩一が行った。人選から企画の方向性まで、彼の方針設定である。死者を悼むという要素をどこかに入れること、復興の要素を入れること、原発はいれないこと等の設定が行われた。牡鹿半島の4つのエリア(市街地中心エリア、市街地周辺エリア、牡鹿半島中部エリア(桃浦・牡鹿ヴィレッジ)、牡鹿先端エリア(鮎川エリア))を設定して、それぞれにアート作品を展示した。この地区の海岸沿いは、広範囲にわたって防潮堤が作られ、海岸沿いの景観を著しく損ねている。そこで作家の一人が、この防潮堤の陸側に多くの人物の写真をまるで捜索願のように張り出したところ、地元住民からただちに反対運動が起きた。実際に東日本大震災から6年経ってもまだ行方不明者がいる。捜索願の人物像とアートとしての人物像には、なにか大きな行き違いと違和感がある。人物のキャラ像は、反対を受けてただちに撤去された。こんなことを引き起こしながら、長い所では1年の期間をつぎ込んで作品が形成され、短い所ではやく1月の制作期間で作り上げられた。

 市内の情報館(最初に立ち寄るところ)には、シュタイナーが実際に描いた黒板の図柄が4,5点展示されていた。シュタイナーらしい図柄による説明で、彼のアストラル体(宇宙霊)の表記は、そのまま一つの表現となるほどのものである。日本では、人智学として広く読まれている。シュタイナー教育、シュタイナー体操が有名だが、シュタイナー農業というように人間のかかわる営みを総体として組み代えていくほどの構想力をもっていた。また市中心街のかつてのポルノ映画館には、少し気の利いた作品があった。津波で背丈以上に水がつき、座席が浮かび上がった映画館である。この映画館の座席を2メートルほど浮かび上がらせ、それを模擬の瓦礫で支えて、それでもなおポルノ映画を上映するのである。2メートルの高さまで水がつけば、おそらくその場にいれば生き延びることに必死である。その必死さでなおポルノ映画である。この映画館の館主は、津波の水か引いて部屋が片付くと映画館を再開し、2年前まで映画を上映していたようである。この筋違いの取り合わせが、なんとも奇妙でかつユーモアに溢れている。

 体験的エクササイズのベースキャンプになっていたのが、Bエリアの桃浦小学校跡地の体育館であり、この周辺にも7,8個の展示があり、小学校の跡地や倉庫を使った展示物が置かれていた。この小学校跡地には、試みとして優れたものが多い。

 「います、2017」(パルコキノシタ、1965年徳島県生まれ)と題する作品は、かつての倉庫の一室を使い、そこに木像を延々と作り配置し続けた作品である。牡鹿半島や石巻から採れた木材だけを使用して、大震災で亡くなった人の数(3978人)だけ木像を作り続ける途上の作品である。絵の描かれた木像もあれば、ただ木を切っただけのような木像もある。死は、死者の個体数だけではなく、むしろ「密度」をもつ。この密度が何に由来するのかはよく分からないが、もはや移動することもなくそこに「いる」ことの密度である。作者はもともと漫画家で、さまざまなアイディアを出し続け、震災以後この地に居住しているということだった。この密度は、死者は死んでなお個体であることに由来する。より密度の高い植物の群れやコスモスの畑やヒマワリの丘は、いくらでもある。群れとなることのできるものは、個体とは別の集合体なのであろう。

 旧桃浦小学校の校舎と体育館の間には、かつて庭であった場所が適度の草地になっている。そこに流木をあつめて組み合わせ、鹿の像を設置しているアーティストがいた。造形大出身の彫刻家富松篤さんである。2,3日に1回程度、海岸を歩き、流木を拾って、それを乾かして、どこかの時間帯で組み立てを開始する。ひとたびどこかの部分の木切れの配置が決まると、あとはかなり自動的に作業は進み半日程度で出来上がるということだった。作者は、大震災以降石巻に移住し、そこでアート活動を続けているということだった。この場面での体験は、実は人文系の学生たちにも実行できる。関東には滅多にやってこないが、台風が通り過ぎた翌朝の海岸沿いを歩き、落ちているものを拾ってくるのである。漂流物は、自然の造形である。それをともかく拾って歩くのである。

 図の鹿は、庭にある4体の鹿のなかでも最も大きいものである。すべて集めてきた流木だけで作られており、地面に固定するための支柱と、ところどころに接着用のビスが打ってある。どこから始まったのかはわからない。聞いてみたところ、首筋あたりが決まり、そこで全体の輪郭が決まって、作業はどんどんと進んだようである。首筋あたりの図柄が決まると同時に全体のかたちとサイズが決まり、イメージがくっきりとした輪郭をもったところで、あとは自動的に進むという感じだったようである。作品が出来あがれば、開始点は消えてしまう。開始点を決めているのは、集めてきた木切れの組み合わせである。その意味で開始はどこかいつも偶然である。そしてそれは素材によってほとんどが決まっている。これを部分―全体関係でおさえていくと、部分から全体の予期が生み出され、次の部分が形成されるごとに全体の輪郭のピントが決まってくる、ということになる。これが解釈学的な理解である。部分―全体関係の循環を用いているのである。このとき先取りされた全体へと向かう方向で経験は進むが、どこまでも全体に向かい、全体へと到達するように進んでいく。これはある種の目的論である。

 これに対して、最初の開始は、偶然的にスタートが切られるだけであり、次の制作手順が決まれば、それによってはじめてきっかけが「開始」となる。制作行為の作動が継続するものだけが、「開始」を刻印する。その次の制作手順には、そのつど選択の行為があり、うまく行かなければ、もう一つ手前の段階にもどってみてそこから開始する。全体的なイメージとは、プロセスのさなかの選択のための手掛かりであり、それを活用しながら、ともかくも前に進むことができる回路を探り当てる。これの繰り返しを進んでみたとき、出来上がってきたものが当初イメージしたものとは異なり、「こんなはずではなかった」と感じることもあれば、「こんなものが出来てしまうとは!」という自分自身にとっての驚きとなることもあり、また「なんだかすっきりしない」とピントの決まらなさの理由不明に少なからず当惑することもある。それでもできてしまった物は否応がない。こうした捉え方をしていくのが、システム的制作である。

 システム的制作は、プロセスの各局面でつねに別様になりうることの可能性を含むこと、イメージとして活用される全体像は、制作プロセスの目標ではなく、制作行為を進めていくさいの手掛かりであり、全体像そのものが組み代えられることもあれば、作られたものがイメージした全体像とは食い違ったままなにか違和感を残し続けることもあり、作品は出来あがったのに、同時に次の作品の課題が見えてしまうということも起きる。そしてそれはごく普通に起きるのである。解釈学的循環は、部分―全体関係を総体として観察者が外から捉えたものであり、循環関係を設定して、必要に応じて視点を循環の内部に入れていくというのが実情である。そして全体性へと向かう目的論が柱になっている。それに対してシステム的制作は、制作行為の継起的な作動を基本にしている。そして到達されたものは、このプロセスの副産物なのである。

 小学校の校舎の屋上には、大崎晴地君の「シーフロアー」が設置されている。この作品はもともと体験的エクササイズであるアート・ウォークの一環として制作された。海中にマイクを降ろし、海中の音を拾って、それを振動に変えて、屋上で海の音や振動を体験する装置であり、耳では聞こえない音を振動として受け取るものである。一般に音とは振動のことであり、人間の耳に音として聞こえているのは、振動のごく一部である。振動の音域では、低周波では太鼓の音のようにほとんどは空気の振動として受け取られており、高周波は確実に脳には受け取られているが、音としては聞こえない。

 また振動域とは別に振動の短期間の持続がなければ音にはならない。音になる以前に振動を感じ取っているという部分がある。そこから音として聞こえるためには、何秒間かの持続がなければならない。2017年ロンドンでの世界陸上男子200メートルで決勝に残ったサニーブラウンは、スタートを告げる機械音からの反射動作の開始が、ファイナリストのなかでは最も遅いと言われている。本人は音を聞いてしまう、と語っていた。音を聞いてからではすでに動作の開始は遅れている。振動から音の開始を感じ取り、動作が起きなければならないようである。こうして音の知覚以前に音を感じ取る場面では、ほとんど振動とも音とも言えない局面がある。そしてそれは耳という感覚器の手前で、身体として感じ取っている領域である。

 海中で録音した音を振動に変換し、それを屋上のコンクリートの上に置かれたやわらかい振動板に連動させる。この振動板の上で海中の音を体験するのである。この振動板の五か所にスピーカーが設置され、音量も振動数も異なる音が流れてくる。それがいくつかのモードの振動となって振動板を揺らすのである。

 振動が媒体をつうじて連動すれば、ただの振動ではなく、「響き」となる。振動と振動が媒体とともに連動すれば、そこに一つの個体が出現する。響きとは個体性をもった振動のことである。そのため多くのモードの響きが出現し、振動板に乗るものはそうしたいくつもの響きのモードに触れていくことになる。それが海を触覚的に感じるための回路の一つとなる。実は5台のスピーカーを使うのであれば、多くの響きのモードが可能であり、振動板は、長期的にはさらに多くの響きのモードを作り出すことができる。しかもそれは振動板の素材にも依存している。媒体を通じて振動は振動を呼び起こし、それらが連動していくのだから、素材は連動できる範囲を変更させ、新たなモードを作り出していくのである。

 牡鹿半島の中央部(Cエリア)は、道路沿線に休憩所もトイレもないという状態だった。漁港がり、カキの皮むき工場はあるが、実質それ以外には何もないという状態だった。国道2号線沿いに、小さなレストランと簡易のトイレが作られ、さらに海岸沿いの波打ち際にプレハブ式のレストランが作られていた。同地区の山間の谷間に、鹿の解体場所と食事処がさらに作られていた。これだけの施設を整えて、この地区を牡鹿ヴィレッジと命名し、人が立ち寄り、一息つくことのできる場所に作り変えてしまったのである。このことの意義は小さくない。牡鹿半島の先端には、金華山を見晴らす位置にホテルもある。このホテルの送迎バスで、石巻市内まで移動しようとすると、場合によっては1時間半近くかかる。その中間に国道沿いにトイレができたのである。場所そのものを作りかえるような作業が行われたことになる。すると新たに組み替えられた地区には、その場所を記す「ランドマーク」があってもよいことになる。そしてそれに相応しい作品が設定されていた。

3 Dエリア

 牡鹿半島の先端が、アート作品のDエリアであり、比較的ここには力作が多かった。草間弥生の小さな作品も展示されている。超有名人の作品が一つ置かれただけで、近所の住民にとってはアート展示の意味合いはまったく異なってしまう。

お寺の境内の中腹に、ゴミを収集してゴミの配置と集合体を作るアート作品があった。「タンバリウム」(岩井優)である。リアス式海岸の断崖絶壁には、いたるところにゴミが捨てられている。冷蔵庫、クーラーから空き缶、空き瓶まで夥しい量の廃棄物がある。牡鹿半島の交通網で考えれば、石巻市内まで、廃棄物を捨てにいくよりも、手っ取り早く捨てることのできる場所は、到る所にある。そしてそれを不法なことだとも思わずただ捨ててきた前史がある。

 物は使われる可能性がある限り、それに相応しい場所をもち、どのように使われてきて、将来どのように活用されるかについての履歴をもつ。それが人間や人間生活とともにある物である。こうした履歴をどこかで断ち切られたものが、「ゴミ」であり、通常はそれ以上には活用される見込みがない物である。エネルギーのゴミが熱であり、その熱を二酸化炭素と水蒸気が地表付近に留めることになる。もっとも路上に置いてある古いテレビや冷蔵庫は放置された後に別の人が持ち去り、また別様に活用することがある。それらはゴミになっておらず一時的に放置されただけである。リアス式海岸の入り組んだ湾の窪みには、ほんとうに何でも捨てられている。それを作者は拾い集めてきて、当初はそれらをただ地面に並べていたようである。そこでさらにドーム状の木の枠を作り、それぞれの枠に留めたのである。これはゴミに履歴を回復させる企てであり、ともかくもゴミが別様に活用できることを配置することによって示している。ただしこれだけのゴミを海岸付近から担いで崖をよじ登ってくるのは容易ではない。

 ドーム状に枠を作り出したとき、外から見て配置されたゴミの形状と、ドームのなかに入り四方がゴミに囲まれて見えているゴミの内的配置図とに落差が生じ、場合によってはまったく別様になるところまで、作り込むことはおそらく可能である。ドーム状の枠は、まさにそれによって内外の区分を作り出す以上、内外の落差が生じるはずであり、ドームのなかで四方ゴミに囲まれてみることの感触は固有のものであるはずだ。それを体験として現実性を帯びさせれば、確実にゴミの経験は変わると思われる。中規模のドームで実験的に試してみることはできる。

 ただしフェスティヴァルの期間が終わり、この作品を撤収するときには、ゴミは再度どうなるのだろう。入り江に捨てられたゴミの清掃作業はこれによって小規模ながら実行されており、またその清掃を手伝ってくれた多くのアルバトの人たちの貴重な経験は残ることは間違いない。ただしゴミの多くは不法ゴミから正当な手続きを踏んだゴミになるのだろうか。

 牡鹿半島の海岸線は、ほとんどが断崖絶壁である。そこに大きな湾のような砂浜がある。海水が湾内で舞うように停滞し、絶壁を削った砂が運ばれることもなく、湾の内側に落ちてきたのが砂浜である。ユリ浜と呼ばれた景観地だが、道路は断崖絶壁の上を通り、そこからただひたすら海岸線まで下りていく。海水浴には向かない。その場所にアート作品が設置されている。「起こす」(島袋道造)というテーマ作品である。砂浜には、いくつもの漂流物がある。だがそれはすべて横たわっている。漂流物を起こすのである。

 こうした場所では、なにかがあってもおかしくないところに何もないという特徴を備えている。実際にあるのは、砂浜と海である。思わず走り出してしまいそうな場所である。ここでは、多くの感覚が湧き上がるという感触を伴い、場所そのものに「喚起力」がある。落ちているものを思わず拾ったり、横たわっているものを立てて砂に突き刺したり、海岸線に向かって走りだしたりと、何かの行為を誘発する。これは物にかかわり知覚をつうじて行為を制御する場面とは異なる。行為は圧倒的に多様であり、どのような行為が引き起こされるのかを、環境が規定しているのではない。もとよりことさら何もしないで、立ち尽くすこともできれば、感覚の起動を留保するようにそこで佇むこともできる。これらはむしろ「留保」という行為なのである。

 喚起力は、感覚の起動をおのずと引き起こすことである。だから自然状態が、自分自身にとって溢れている状態である。身体になにかのきっかけがあれば、おのずと何かを行ってしまう。もっとも単純には、すでに起こしてある物体の傍らに、さらに自分でも何かを起こすのである。すでに起こしてある物は風によって簡単に倒れないように、スコップで砂を掘り、深く埋めて起こしてある。だから傍らに別の物を立ててもすぐに倒れてしまうが、それでも何かを起こしてしまう。物を起こすだけではなく、感覚と身体を起こしている。物でも風景でも、何かが足りていないことは、実は「過剰感覚」なのである。

 この喚起力を別様に作り出す装置が設置されていた。大きなテントに水を張った浅い水槽を作り、そのなかに青のLEDを分散して埋め込み、水中で青い光を発行する物体を配置する。それぞれの物体には、数字がうってある。

 数と光は、人間にとって本能の近くにある。眼の形成や事物の集合の形成には、いたるところで数と光が内在的に含まれている。何が行われた作品なのかがわからない。その次元に設定されている。作品は、わかるという位置での展示だけではない。感覚そのものが形成される次元は、その作品に触れることが感覚のリセットなのだから、何であるかがわかる作品なのではない。分かるとは異なる仕方で触れるような作品はある。

 「時の海・東北」(宮島達男)はそうした作品であり、この作者が長年手掛けてきた作品群がある。既存のもの、既存の環境とはまったく別の位置から作られた作品であるため、まるでヴァーチャル・リアリティやフィクションのように感じられるかもしれない。人間のわかるという認識は、過去のものに関連付けることである。既存の物に関連付けができれば、それを「わかる」という経験だと呼んでいる。理解とは、経験の履歴に配置することである。そこにわずかばかりの工夫と奇抜さとを籠めて、アートだと呼んでいるのが実情である。

鳥の巣に似せて大木の枝の上に、人間の巣を作ってみることはできる。もちろんそれでも面白い。木や植物に布を巻きつけることもできる。それでも布の色と幅と巻きつける角度を工夫すれば、十分に面白い。経験のなかに分散というかたちでさまざまな経験の仕方が更新されるような制作物を作ることはできる。だがいずれも「わかる」という経験の範囲内に留まっている。

 それらとはまったく異なる次元にある経験がある。感覚の起動にかかわる経験は、抽象ではなく、超具象であり、感覚の出現する場所にかかわる経験である。石巻在住の美術教育家新妻健悦氏が述べるB言語もそこにかかわっている。アートが既存の経験とは異なる領域に踏み出すとき、踏み出しそのものを作り出すようなアートがある。その一つがこれである。

より豊かに

 体験的エクササイズのような企画の合間で休憩を取りながら、その日体験したことを思い浮かぶままに想起してみる。想起されたものはリセットされて、経験のなかに内面化され、沈み込んでいく。思い起こしながらそこに言葉を当てるように試みてみることも大切である。参加者の一人は、「詩」を書き綴っていた。プログラムとプログラムの隙間は、ゆっくりとした音楽でも流れてくれればとも思う。それはライヴで歌うというより、演奏だけの音楽である。ライヴ音楽でともに歌って盛り上がり、そこから地続きにアート作品の経験や体験的エクササイズに入っていくことは容易ではない。自分自身の経験をリセットすることは簡単なことではない。すでにその近くまで行っている人でなければ、簡単にはリセットできはしない。発達心理学者のヴィゴツキーは、そうした経験の局面のことを「最近接領域」だと呼んだ。アート作品とともに、こうした最近接領域は、多くの場面で用意されている。まだまだ工夫の余地は大きいが、とりあえず現状でのベストの企画は立てられていると思う。アート作品は、40ケ所ほど設置されているが、実質的には10か所程度でよいとも感じられる。アート作品の鑑賞という点で見れば、しばらくその場にいて、「この作品をさらに豊かなもの」にするためには、どこをどう作り変えればよいのかとみずからに問い、さらに別様に進むための回路まで見えてくれば、その作品を十分に堪能したことになる。ともかくも踏み出しのために、多くの事柄をトライアルとして設置したフェスティヴァルである。

(2017年8月)