連続研究会「明治期における人間観と世界観」 第1回「表現の倫理」

連続研究会「明治期における人間観と世界観」

第1回「表現の倫理――仏教哲学における非二元論の現代哲学への適用」

5月14日にコプフ、ゲレオンIRCP客員研究員(ルーター大学教授)を迎え、東洋大学白山キャンパス9号館第4会議室にて、「表現の倫理――仏教哲学における非二元論の現代哲学への適用」と題された研究会が開催された。この研究会は、「明治期における人間観と世界観」をテーマとした連続研究会の一つとして開催されたものであり、近代日本哲学が基づいた非二元論を現代の社会と関連付けながら論じるものであった。コプフ氏による研究会の概要は以下の通りである。

非二元論とは何かを理解するためには、二元論や一元論との比較が有効であろう。つまり、世界が二つの領域から構成される二元論においては別れた二つの間に対話はなく、世界が一つの実体から成ると主張する一元論の世界には差異も多様性もない。また多元論においては、小世界としての個人が無数に存在すると認識されているが、個々人のあいだに生じる対話と対応を説明してはいない。それに対し、非二元論は一つの世界にある多様性と差異を強調する立場に位置している。

周知のとおり、非二元論の概念が支配的である仏教哲学のテクストでは、自己の肯定と否定の均衡を中道であるとみなし、「理事無碍」や「事事無碍」という概念を用いて、仏教教典上で想像される宇宙の中に住んでいる人間の存在が説明されている。

西田幾多郎と田辺元の哲学を継承している務台理作はそのような考えを戦後のグローバル化された状態に適用した。務台によると、現代の世界を説明するためには「個人」、「世界」、および「種」という概念が必要になる。つまり彼は、それまで全体として考えられていた世界を、「種」と呼ばれるアイデンティティによって個人が表現していると考えた。

務台の定義を用いると、人間は、多層的なアイデンティティや他者との二つの「相互関係」によって形成されると考えられる。言い換えれば、人間は多くのアイデンティティを表現するようになる。それにもかかわらず、自己は他者との相互関係を通して形成されるがゆえ、自覚は他者の理解によりもたらされ、他者の理解は自覚によりもたらされるといえるだろう。個々のアイデンティティは人間関係の網に発生すると言えるのではないだろうか。そうすると、ある世界観はそのポシションを支える哲学者の状態や道徳的な態度を表現する。そのような自己に関する議論を、私は表現の倫理と呼ぶ。