第1ユニット WEB国際講演会

「日本近代における漢学と西学:中江兆民を中心に」

2012年11月14日、東洋大学5号館特別会議室において、東洋大学国際哲学研究センターとストラスブール大学日本学学科との共催によるWeb国際講演会が行なわれた。吉田公平研究員による講演「日本近代における漢学と西学:中江兆民を中心に」をWeb会議システムを使用することによってストラスブール大学の大教室のスクリーンに映し出し、日本とフランスを結んだWeb講演が行われた。ストラスブール大学の会場には日本語を学ぶ多くの学生が集まり、講演後の質疑応答では、Web会議システムを介して活発な議論が交わされた。ストラスブール大学でのホストを担ってくれたクリスティヌ・セギー先生には厚く御礼申し上げます。

発表者による講演要旨は次のとおり。

日本は東アジア漢字文化圏の中で歴史時代に入ったから当初から漢字文化の恩恵を受けて古「日本語」を記述した。漢学は日本にとっては第一次西学である。漢字が持つ音標機能を借用して日本語を表記した。万葉仮名である。その後、漢字の意味をも活用した。音標文字としては漢字は画数が多いのでカタカナ・平仮名を考案して、真名(漢字)と併用して文字社会を豊かにした。第二次西学(西欧学)が流入して漢学と拮抗する。近代社会を開拓したのは西欧学であるが、漢学が受け入れる基盤でも、抵抗する砦でもあった。旧学に立てこもるものもいたが、漢学の基礎をしかと身につけていたものは、むしろ国際情勢を察知して積極的に受容し、第三の道を選択し、独自の成果を歌い上げた。

その一人が中江兆民である。中江兆民は奧宮慥齋に陽明学を学び、フランスに留学して哲学を習得し、帰国後は仏語塾を経営する傍ら、自由民権運動の論陣を張り、社会活動を果敢に行った。実生活は矛盾に満ちていたが、唯物論を主張し、平民社グループの運動が不徹底であると酷評して、新平民の問題を包み込んだ、差別反対論を展開して、大きな影響力を持った。この運動は大阪を活動の拠点とした大阪陽明学会が継承して、機関誌『陽明』『陽明主義』を刊行した。孟子・王陽明・大塩平八郎・ルソー・中江兆民という系譜を打ち出し、孫文・レーニンを認知する。また銘じ・大正時代に、反権力運動の権化であった宮武骸骨とも親交があった。中江兆民の自由民権理論は先に土佐の人々に継承され、それが大阪でも展開された。しかし、大阪陽明学会は保守派との内部抗争が原因で破綻するが、中江兆民の儒学・陽明学は臣民派の間でも別の形をとって継承された。

なお、発表の模様はこちらから見ることができる。