第1ユニット 第7回研究会報告

第1ユニット第7回研究会「近世排耶論の思想史的展開──明末から井上円了へ──」

2014年1月15日(水)、東洋大学白山キャンパス6号館1階第3会議室にて、講師に公益財団法人中村元東方研究所専任研究員の西村玲氏を迎え、「近世排耶論の思想史的展開──明末から井上円了へ──」という題目で、第1ユニット第7回研究会が開催された。

最初に西村氏は、日本近世仏教の思想的意義を概観し、近世の排耶論を論じることを通して、日本近世仏教思想における中国仏教の受容の問題や、特質と歴史的意義の一端を明らかにすることができるであろうと見通しを述べた。

 次に、西村氏は明末におけるキリスト教批判を概観した。マテオ・リッチの仏教批判に対する反論として、インド由来の虚空概念と中国由来の大道が用いられた。虚空は、物を妨げることも妨げられることもないものであり、遍く行き渡る普遍的なものである。一方大道は、そこから世界や生物が生育する根元的な道のことであり、如来蔵的な宇宙観を反映したものである。この二つの概念に基づき、無始無終の完全な働きとしての「虚空の大道」が論じられた。

 一方、16世紀の日本では、キリスト教宣教師たちによって、仏教は死後の保証がなく、「虚無」を信仰するものであると批判されていた。この批判に対して、日本の禅仏教は、民衆に五戒を授け、五戒を守る自らの正しい行いが後生の安楽と現世の安穏を招くとした。また、キリスト教の教義に対して、虚空の大道の立場から反批判が行われた。

しかし、その後の日本の排耶論は、倫理的な観点からキリスト教を批判するものとなっていった。虚空の大道という形而上学的な概念は忘れられ、虚空はむしろ近代的な無意味な空間と考えられるようになっていった。井上円了もこの系譜の中に位置づけられ、キリスト教に対して、神が虚空のような無意味なものであるという批判を行った。一方仏教は、キリスト教と区別され、哲学的な宗教と位置付けられる。キリスト教批判を通じて、前近代の仏教から、近代の哲学が分節化されることになるのである。

以上のような発表の後、参加者たちの間で忌憚のない討議が交わされ、非常に充実した研究会となった。

なお、本研究会の様子はこちらの動画から見ることが出来る。